江ノ島を歩く(一)
本日は、「江ノ島を歩く(一)」です。
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江ノ島は、鎌倉の西片瀬の海上に浮かぶ、周囲4キロほどの島です。江の島神社、サムエルコッキング苑、そびえたつシーキャンドル、江ノ島岩屋など見所が多いです。
また高低差のある地形がとても楽しく、登ったり、降りたりするのが、冒険感覚にあふれ、お子さんにも喜ばれるはずです。
弁天橋
江の島電鉄江ノ島駅、もしくは湘南モノレール湘南江の島駅でおります。江ノ島駅の駅舎には、江の島の「シーキャンドル」をかたどった光物がそびえ、はやくも江の島気分をかきたててくれます。
お土産物屋さんの多い敷石を敷いた道をわくわくしながら進んでいくと、
見えてきました。弁天橋です。
ずあーーっと江の島まで続いているんです。
歩いていくうちに、江の島が近づき、大きくなり、青銅製の鳥居が感動と共に視界に迫って来る。
空にはぴょろーーひょろひょろ…トンビが旋回してます。いい気分です。
弁天橋を渡り、文政四年(1821年)鋳造の青銅製の鳥居をくぐると、
ああ、楽しい感じです!
ゆるやかな坂道の左右に、なつかしい雰囲気ただようお土産やさんや、名物「しらす丼」の店がつらなり、かつての江の島参詣の賑わいを思わせます。
すぐに朱塗りの鳥居が見えてきます。ここからが江島神社・辺津宮への階段です。
江の島神社は福岡の宗像大社や安芸の厳島神社と同じく、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、田寸津比売命(たぎつひめのみこと)の三柱の女神・宗像三女神(むなかたさんじょしん)を祀った神社です。
辺津宮・中津宮・奥津宮の三つのお宮に分かれています。順路にそって歩いていけば、三つのお宮をすべて参詣できるようになっています。
辺津宮
見えてきました。竜宮城の入り口を思わせる瑞心門(ずいしんもん)。
北条氏の「三つ鱗紋」に注目してください。
江の島神社は、北条氏にゆかりの深い神社なので、北条の家紋「三つ鱗紋」がいたる所に見えます
初代北条時政が江ノ島に参詣して子孫繁栄を願った所、美しい女性の姿をした龍神があらわれ、願いかなえようと言った、そして龍の姿に変じてザバーーと海に戻っていった後、三つのウロコが残された、という伝説によります。
瑞心門をくぐると、そこが、辺津宮(へつのみや)です。
田寸津比売命(たぎつひめのみこと)を祀ります。土御門天皇の時代、鎌倉幕府三代将軍源実朝によって創建されました。
社殿正面には茅の輪くぐりの茅輪。次々と参拝者がくぐって、ケガレを祓ってます。社殿脇には、「人形(ひとがた)」。
紙を人間の形に切ったもので、これにゴシゴシと体をこすりつけて、ケガレを吸い取ってもらい、水に流すわけです。そして人形の横には「車形(くるまがた)」もありました。こういうのもあるんですね…
辺津宮の左手にある奉安殿(ほうあんでん)という八角形のお堂には、八臂弁財天(はっぴべんざいてん)と、妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)が安置されています。
八臂弁財天は、八本の手それぞれに武器を持ち、いかにも勇ましい姿です。それもそのはず。八臂弁財天は、源頼朝が奥州の藤原秀衡を調伏…つまり呪うために文覚上人に命じて作らせたと『吾妻鏡』にはあります。
平家との決戦を前に頼朝が何よりも恐れたのは、奥州の藤原秀衡の存在でした。
もし平家との戦のさなか、奥州から背後をつかれたら、ひとたまりもない。だから、頼朝が平家と決戦するにあたって、何よりも奥州への抑えが必要だったのです。そこで、八臂弁財天というわけです。
一方、妙音弁財天は、ずっとおだやかな感じです。
琵琶をかかえ、ふっくらした体つきに白い肌。しかも一糸まとわぬお姿で、裸弁財天とも呼ばれる日本三大弁財天の一つです(どの弁財天を「日本三大弁財天」とするかは諸説あり)。
エスカ―
さて、これからどんどん山の上のほうまで登っていくのですが、
江の島にはエスカ―という有料のエスカレ―ターがあります。三区間を乗りついて、350円です。
足腰に自信が無いという方は、このエスカ―を利用するのがいいでしょう。ただし、外の気色は見えませんし、それほど長い距離でもないので、正直、歩いたほうがいいかなとは、思いました。
次にやってきたのが、中津宮です。祀られているのは市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)。
平安時代初期、文徳天皇の御代、慈覚大師円仁により創建され、元禄二年(1689年)改築されました。現在の社殿は平成8年の改修の際、元禄二年改築当時の姿を再現したものです。
そろそろだいぶ高い位置になってきました。眼下に江の島漁港が見渡せます。ぴょろーーひょろひょろ。トンビの声も、気分高まります。
さて、弁天さまは、市寸島比売命と同一視される神様です。つまり、弁天さま=市寸島比売命というわけです。
そして弁天さまというと、音楽・芸能の神様でもありますよね。というわけで、ここ中津宮には歌舞伎関係の方の奉納した石灯籠が多いです。特に市村座と中村座が奉納した灯籠がひときわ目を引きます。
弁天さまと、歌舞伎。といえば何か思い出さないでしょうか?
そうです。『白波五人男』(正確には『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)」)に登場する弁天小僧菊之助です。
五人の泥棒の話です。その名も、
日本駄衛門(にっぽんだえもん)
弁天小僧菊之助
忠信利平(ただのぶりへい)
赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)
南郷力丸(なんごうりきまる)。
もう名前の響きからしていかにも大泥棒っぽい。
キョーレツに道を踏み外した感じが伝わってきますよね。
そしてそれぞれの事情を背負った五人の泥棒たちが
運命の糸にたぐりよせられるように、一緒になる。
最終的には追っ手に追い詰められ、
鎌倉の極楽寺の屋根の上で大乱闘のすえ、
ある者は切腹し、ある者はお縄になり…
そんな話です。特に追い詰められた五人が次々と名乗りを上げる名場面は有名です。
さてその次は江の島の岩本院(いわもといん)の児(ちご)あがり、ふだん着慣れし振袖から髷(まげ)も島田に由井ヶ浜、打ち込む浪にしっぽりと女に化けた美人局、油断のならぬ小娘も小袋坂に身の破れ、悪い浮名も竜の口土の牢へも二度三度、だんだん越える鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿(むしゅく)と肩書も、島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助たあ、俺のことだあ。
中津宮境内には、平成11年(1999年)五代目尾上 菊之助さんが弁天小僧を演じる際に奉納した、手植えの「しだれ梅」があります。
サムエル・コッキング苑
次に、サムエル・コッキング苑を訪れます。
明治15年(1882年)江の島神社の菜園だった場所をイギリス人の貿易商サムエル・コッキングが買い取り、別荘を建てました。大正12年(1923年)の関東大震災で多くは崩れましたが、その後、昭和24年(1949年)植物園として開園しました。
庭内には四季を通じてさまざまな花が咲きます。私が行った時は、満開のチューリップが迎えてくれました。
庭園右手のマイアミ・ビーチ広場からの景色は、最高です。
眼下にさっき渡ってきた弁天橋。むこうに龍口寺の五重塔と仏舎利塔が見えます。腰越漁港と小動(こゆるぎ)岬も見えます。いい気分です。
サムエル・コッキング苑と共通券500円で、展望灯台・シーキャンドルにも登れます。
しかし私は高い所が苦手なのです。京都駅の大階段(171段)も、昼間は登れないです。山の上だったら平気ですよ。しかしこういう、人工的な建物は、すとーーんと、自然にありえない形をしてるじゃないですか。足元が崩れ去る感じがして苦手なんですね。
しかもこのシーキャンドルは、下が狭くて、上が広いです。なんて不安定な形をしているのか!エレベーターで上まで登ってみましたが、それから展望台に出るのはムリでした。しかも、建物に巻き付いた階段を登って上まで登っていく人もいます。なんという勇気でしょうか!私は、早急に撤退しました。
しらす丼・江の島ビール
ここらでお昼にしましょう。参道沿いに、お食事処があるので入ります。
江の島名物といえば、しらす丼です。
ぷりぷりの生しらすが、たっぷり載ってます。海のエネルギーを、体内にかっこむ感じです。
そして江の島ビールは、まろやかで甘味があり、飲みやすかったです。
明日は、「江の島を歩く(ニ)」。奥津宮と稚児ヶ淵(ちごがふち)、江の島岩屋などを歩きます。お楽しみに。
次の旅「江の島を歩く(二)」