鎌倉 長谷を歩く(二)高徳院・甘縄神明神社

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本日は、「鎌倉 長谷を歩く(二)高徳院・甘縄神明神社」です。

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高徳院

光則寺を後に、高徳院に向かいます。参道沿いは修学旅行の学生さんが多いです。



肌がツヤヤカです。若々しいです!すばらしいです!鎌倉みやげの店があちこちにあり、旅気分を高めてくれます。見えてきました。高徳院の入り口です。



高徳院は有名な「鎌倉大仏」…阿弥陀如来坐像を本尊とする浄土宗の寺院です。

鎌倉大仏

仁王門をくぐり、境内に踏み込むと、



まず茂みで視界が遮られていますが、ぐるり茂みを回ると、ぱっと視界が開けて「うおっ」と息を飲みました。


もう目の前にドドンと大仏さまが鎮座しています。


おだやかで、落ち着いた表情です。写真で見るとよくわからないですが、ほんとうに穏やかです。

鎌倉の人がなんとなく穏やかで人柄が落ち着いているのは、大仏さまの影響じゃないか、なんて考えてしまいました。


誰が、何のために、いつ完成させたかは不明ですが、鋳造は建長4年(1252)に始まったと記録されています。もとは木像でしたが、後、青銅製にあらためられました。もとは大仏殿の中にありましたが室町時代、津波で流されて以来、大仏殿は再建されず、現在の、野ざらしの状態となりました。


1252年というと、五代執権北条時頼公の時代です。時頼公により建長寺が建立されたのが1253年。そんな時代から、760年以上も!大仏さまはここに鎮座されている……


しかも建長寺はほとんどが後年再建されたものですが、この大仏さまは、鎌倉時代から、変わらぬお姿で、津波にも流されず、地震にも倒壊せず、ここにいらっしゃる!!カーーッと熱いものが胸にこみあげます!

参拝のために列に並びます。大仏の前にある大きな香炉(高徳院大香炉)にも注目です。


表面に金色の天女の像が刻まれています。私の前に並んでいた主婦らしき方が話してました。私は親に子供の頃から言われてのよ。お前、大仏さまみたいな、どっしり落ち着いた人間にならんといかんぞと。いまだに私はそれ思い出すわ~なんて話していて、微笑ましかったです。

私はこの日、鎌倉に来る電車の中でウトウトしてたら、夢を見たんですが、大仏さまが銭湯で体重計にのって、ちょっと腹出たなァとか言ってました。その夢のこともあり、ますます大仏さまに親しみを覚えました。



鎌倉大仏胎内

大仏さまの胎内に入ります。狭い階段を行列をなして登っていくと、すぐに踊場状の胎内に出ます。



中はかなり暑いです。内壁に触ると、カーーッと熱を含んでいます。上を見ると、大仏さまの頭にあたる部分にポッカリと開き、螺髪(らはつ)の裏側もボコボコと穴が空いているさまが観察できます。なるほど…こうなってるんですか。小学生が、熱心にメモを取り写真をとっているのが、微笑ましかったです。

室町時代には手入れも行き届かず、大仏さまの胎内でばくちを打つ不届きものもあったということです(『梅花無尽蔵』万里集九)。その様子を想像とると、ちょっと楽しいですね。

大仏殿礎石

大仏さまの周囲には、かつての大仏殿の礎石が等間隔で残っていますが…あまり礎石とは認識されていないようで、腰かけたり、荷物を置いたり、ベンチ感覚で使われているのがほ微笑ましいです。



蓮弁

大仏さまの後ろには、四枚の蓮弁があります。


江戸時代の信者が、大仏さまの蓮台にしようとして寄進したものです。しかし32枚のところ4枚しか集まらず、蓮台は作られませんでしたが、いまだにご子孫が参詣に来られるということです。歴史が今に生きていますね!

観月堂

大仏裏手の木立の中にひっそりとたたずむのが、観月堂です。


15世紀中ごろ、漢陽(ソウル)の朝鮮李子王朝の宮殿にあった建物です。後に日本に移築され、山一合資会社(後の山一証券)の社長の所有となっていましたが、大正13年(1924年)寄贈によりこの場所に移されました。しかし李子王朝の宮殿にあったものなぜ山一合資会社の社長のものになったのか、そのへんのいきさつが、よくわかりませんでした。

与謝野晶子歌碑

観月堂に向かって右手に、与謝野晶子の歌碑があります。


かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

大仏さまは阿弥陀如来であって釈迦牟尼ではないのですが、これは与謝野晶子が勘違いしていたと思われます。

高徳院を後に、甘縄神明神社に向かいます。


甘縄神明神社は高徳院の南東にある、鎌倉でもっとも古い神社です。高徳院とはうってかわって、人通りがなく、住宅街の中にあるのですが、異世界に迷い込んだ感があります。ホーケキョ、ケキョ、ケキョの声がいっそう深山幽谷の感じを高めてくれます。

甘縄神明神社は社伝によると、和同三年(710)行基の草創。「由比長者」といわれた染屋時忠(そめやときただ)の建立。天照大神(アマテラスオオミカミ)・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)・伊邪耶美命(いざなみのみこと)・武甕槌尊(たけみかづちのみこと)・菅原道真を祀ります。源頼義が祈願して嫡男義家を授かったことから、子宝の御利益があるとされます。



石段の左手に、北条時宗公産湯の井があります。


モンゴル襲来の時強力なリーダーシップで御家人たちを指揮した八代執権北条時宗。その祖母である松下禅尼は、安達氏の娘です。そしてここ甘縄神明神社のそばに、安達氏の館がありました。ようは、時宗公の祖母の実家である安達氏の館が、このへんにあったのです。なので、ここで北条時宗公の産湯を汲んだというのも、ありそうな話と思います。

長い石段を登ると神明造の拝殿です。



木々の緑がすずしい影を落としています。振り返ると鎌倉の海が、木々のこずえの切れ間からすがすがしく見渡せます。


拝殿右手にさらに石段があり、その先は火消の神様・秋葉明神が祀ってあります。



高徳院や長谷寺の人だかりに飽きたら、ここ甘縄神明神社に足をのばしてください。ゆったり落ち着いた気分が味わえます。

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