平安神宮と周辺を歩く
本日は平安神宮とその周辺を歩きます。平安神宮は京都岡崎の地に、明治28年(1895)平安京遷都1100年を記念して創設された神社です。
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10月22日に行われる「時代祭」でも有名です。近くには疎水が流れ、岡崎公園に図書館や美術館、動物園などがあり、楽しい雰囲気があります。
平安神宮
「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車。
目の前に平安神宮の荘厳な大鳥居が見えてきます。
近くには疎水がゆったりと流れています。
これより疎水は夷川船泊(えびすがわふなどまり)を経て、冷泉(れいぜん)放出口で鴨川に流れ込みます。
北へ徒歩5分。冷泉(れいぜん)通を渡って応天門(神門)へ。
前庭を隔てた向うに大極殿が聳えます。これらは平安京大内裏のものを8分の5スケールで模したものです。
平安神宮は明治28年(1895)平安京遷都1100年を記念して創設された神社です。平安京に遷都した桓武天皇と、幕末の孝明天皇を祭ります。
毎年10月22日、平安京遷都を記念して行われる時代祭は、ここ平安神宮の祭礼です。幕末から平安時代初期まで、さまざまな時代の衣装をまとった行列が、京都御所から平安神宮までを歩く、京都三代祭りの一つです。
白虎楼(びゃっころう)・蒼龍楼(そうりゅうろう)
拝殿向かって左右に、白虎楼(びゃっころう)・蒼龍楼(そうりゅうろう)がそびえます。
屋根は四方流れ・入母屋造・碧瓦本葺、朱塗りの荘厳な建物です。屋根のつややかな緑と、朱塗りの柱。色彩のコントラストがカッコいいです。
神苑
白虎楼の脇に神苑の入り口があります。
社殿を囲んで4つの神苑…南神苑(みなみしんえん)・西神苑(にししんえん)・中神苑(なかしんえん)・東神苑(ひがししんえん)があります。約1万坪(東京ドーム一個分)の池泉回遊式庭園です。
南神苑(みなみしんえん)
明治28年(1895)平安神宮創建当時から、枝下紅桜の名所として親しまれてきました。
昭和44年(1969)孝明天皇百年祭の記念行事として、平安時代の様式に基づき、道筋と遣水が整えられました。
昭和56年(1981)代表的な平安古典文学(竹取物語・伊勢物語・枕草子・源氏物語)に登場する草木約180種類が植えられ、「平安の苑(その)」とされました。
日本最古の電車
南神苑の南端には、日本最古の電車が保存されています。
明治28年(1895)京都電気鉄道が運行したものです。
明治28年(1895)京都電気鉄道開業時に伏見線・木屋町線・鴨東(おうとう)線が、ついで明治明治33年(1900)北野線が、明治37年(1904)西洞院線が開通し、京都は日本最大の路面電車網を築くに至りました。
しかし。
高度経済成長期に自家用車の所有が増えたこと、そして地下鉄(烏丸線)の影響により、路面電車はしだいに乗客と資金を失っていき、昭和53年(1978)全面廃止となりました。現在京都に残っている路面電車は、京福電気鉄道嵐山本線(嵐電)と、叡山電車の二つだけです。
西神苑(にししんえん)
中神苑とともに明治28年(1895)平安神宮創建時に作られた苑です。
明治~昭和初期の造園家小川治兵衛の手によります。
白虎池(びゃっこいけ)を中心に、出島と滝があります。澄心亭(ちょうしんてい)という茶室もあります。初夏は杜若が見事です。
中神苑(なかしんえん)
西神苑とともに平安神宮創建時に作られました。
蒼龍池(そうりゅういけ)を中心した苑です。
池に渡された飛び石は臥龍橋(がりゅうきょう)といいます。
天正17年(1589)に豊臣秀吉が造営した三条大橋・五条大橋の柱や梁を使ってあります。
東神苑(ひがししんえん)
明治末から大正にかけて作られました。栖鳳池(せいほういけ)に鶴島・亀島のニ島を配します。
池のほとりの尚美館(しょうびかん、貴賓館)、
池に渡した泰平閣(たいへいかく、橋殿)は、京都御所からの移築です。
東山を借景に、池の周囲には八重紅枝垂桜を中心にサツキ・ツバキなどが植えられ、味わい深い景色を作っています。
平安神宮の南には岡崎公園があります。
明治37年(1904)国内勧業博覧会の跡地に作られたものです。近くには動物園・図書館・美術館など文化施設があり、よくイベントをやってます。白河上皇の築いた「六勝寺」という6つの寺はこの場所にあり、それぞれの場所に石碑が立っています。
満願寺
平安神宮や岡崎公園の東の住宅街に満願寺があります。
ここはかつて白河上皇の築いた法勝寺の寺域だったと伝えられます。もともとは中京区西の京にあり菅原道真を祀っていたということです。
裳裾を巻いた、めずらしい形の社殿です。
社殿右手正面に俊寛僧都の住居跡の碑。
後白河法皇の側近であった俊寛は、僧都に昇り、法勝寺の座主を務めました。治承元年(1177)、東山鹿谷にて西光法師らとともに打倒平家の計画を話し合います。鹿谷事件です。
計画はの密告により事前に発覚。俊寛は丹波少将成経、平康頼とともに鬼界が島に流れて、赦されることなくその地で一生を終えました。
映画監督溝口健二の石碑。
これは溝口健二が吉川英治原作の『新平家物語』を撮影っため、俊寛つながり平家物語つながりで建てられいるのでしょう。
また法勝寺の井戸であったという閼伽井もあります。
二条通り沿いに東に進んでいくと、
左手に白河院庭園の入り口があります。
大正8年(1919)、呉服業下村忠兵衛の庭園として築かれました。ここも白河上皇の法勝寺の跡地と言われています。
平安神宮西神苑・中神苑と同じく造園家小川治兵衛による作庭。
東山を借景として、池を中心にカエデ、サツキ、黒松を配します。
昭和33年(1958)以来、建物は私立学校教職員共済組合の所有となっています。
一瞬「入ってもいいのか?」戸惑いますが、いいんです。無料で入れます。人の訪れも少ないので紅葉のシーズンも、ゆっくり紅葉が楽しめます。
本日は平安神宮とその周辺を歩きました。近くには疎水がゆったり流れ、図書館や美術館があり、楽しい雰囲気があります。ぜひ歩いてみてください。
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