時代祭 2018年

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こんにちは。左大臣光永です。先日は時代祭に行ってきました。

時代祭は毎年10月22日に行われる平安神宮の祭典です。桓武天皇が平安京に遷都した日を記念する行事です。今日はその話です。

地下鉄烏丸(からすま)線丸太町(まるたまち)駅もしくは今出川(いまでがわ)下車。もしくはバス停烏丸丸太町(からすままるたまち)か烏丸今出川(からすまいまでがわ)下車。

京都御苑に入ると、すでに多くの人が来ていました。御所の北側にズラリとバスが停車していました。ふだんは見れない光景です。

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御所南の建礼門です。ここから行列が出ます。

明治28年(1895)平安京遷都1100年を記念して平安神宮が創建され、その奉祝行事として行われた時代行列が時代祭の始まりです。

明治維新から始まり江戸、安土桃山、室町、鎌倉、延暦と8つの時代を遡って、約2キロ行列が、京都御苑から平安神宮まで進みます。

各行列はその時代の人物・風俗・代表行事を再現します。さながら「動く歴史絵巻」です。衣装はすべて厳密な時代考証に基づき京都の職人さんが手作りしたものです。

綺羅をつくした衣装・馬・車が、惜しげもなく通り過ぎていきます。わずか2時間で、1070年ほどの時の流れを追体験できます!

名誉奉行

行列の先頭は名誉奉行。時代祭を主催する京都府知事・京都市長・府議会議長などが進みます。

維新勤王隊列

つづいて維新勤王隊列です。

戊辰戦争において東北の旧幕府軍を鎮撫するために出撃した丹波の国北桑田郡山国村(現京都市右京区京北町)の「山国隊」を模しています。錦の御旗が風に翻り、いかにも颯爽としています。

維新志士列

続く維新志士列は、明治維新で活躍した有名な志士たちの行列です。

桂小五郎・西郷吉之助を先頭に、坂本龍馬・中岡慎太郎・高杉晋作に続き、

文久3年(1863)八月十八日の政変で京都を追われた三条実美以下「七卿落ち」の面々、

天誅組を率いて大和に挙兵した吉村寅太郎、頼山陽の息子三樹三郎・一橋慶喜の擁立に奔走した橋本左内・松下村塾の吉田松蔭など、維新の英傑が続きます。

江戸時代

徳川城使上洛列

徳川城使上洛列。これより江戸時代に入ります。

徳川幕府は朝廷で重要な儀式がある時に将軍の名代を上洛させました。その行列を模したものです。実名つきの人物はいませんが、時代祭でもっとも長く、盛大な行列です。

江戸時代婦人列

続く江戸時代婦人列は、江戸時代の京都で活躍した女性たちです。14代将軍徳川家茂に嫁いだ孝明天皇御妹君・和宮をはじめとして、

江戸末期の女流歌人・大田垣蓮月、

池大雅の妻・玉蘭、

寛永の頃、名妓とうたわれた吉野太夫(よしのたゆう)、

歌舞伎のはじまりと言われる出雲の阿国など、

衣装も髪型も個性的な女性たちが続きます。やはり女性の列は華やかで楽しいです。

豊公参朝列

時代は安土・桃山へ。豊公参朝列は慶長元年(1596)5月の秀頼参内の様子を模しています。

前田玄以・石田三成・浅野長政・増田長盛・長束正家の五大名と、豊臣秀頼の乗る檳榔毛の牛車が最大の見所です。

実際に動いている牛車は間近で見ると、かなりの迫力です!

織田公上洛列

つづいて織田信長の行列です。美濃を平定した織田信長は文禄11年(1568)9月、正親町天皇のお召により上洛しました。この行列は粟田口にて立入宗継(たてり むねつぐ)が出迎えて上洛する様子を模しています。

羽柴秀吉の千成瓢箪や、滝川一益・柴田勝家の派手な甲冑も目をひきます。

すべての行列の中で、派手さにおいてはこの織田公上洛列が一番だと思います。

室町時代

室町幕府執政列

室町時代に入ります。室町幕府執政列。

足利将軍をはじめ、室町幕府の重要幹部・三管領四職をつとめた細川氏・山名氏・二階堂氏などが続きます。

室町洛中風俗列

室町洛中風俗列。16世紀、室町時代後半に京都の町衆が行った風流(ふりゅう)踊りを再現したものです。

巨大な「風流傘(ふりゅうがさ)」を中心に、実際にお囃子と踊りが披露されます。

実に楽しい行列です!楽しさという点では全ての列の中で最高だと思います。

楠公上洛列

元弘三年(1333)5月、鎌倉幕府が滅ぶと、隠岐に流されていた後醍醐天皇は京都に還幸します。その際、楠木正成が一族郎党を率いて兵庫でお迎えした姿です。

列の中程に主将楠木正成、少し後ろに弟の楠正季。

特に楠木正成役の方はヒゲも正成っぽく、ハマリ役でした。

中世婦人列

中世婦人列。広い時代にわたるさまざまな女性や、女性の職業集団を集めた行列です。洛北大原から京の町へ薪や炭を売りに来る大原女(おはらめ)、

洛西の桂から鮎や飴を売りに来る桂女(かつらめ)、

淀君。いわずと知れた茶々さまです。大阪夏の陣で息子秀頼とともに徳川家康に滅ぼされました。

冷泉為家の室…一般には「阿仏尼」で有名ですね。

息子為相のために土地の権利にかかわる訴訟をするために、京都から鎌倉へ向かった、その道中を描いたのが『十六夜日記』です。

静御前。水干立烏帽子の白拍子姿。華があります。

鎌倉時代

城南流鏑馬列

承久3年(1221)後鳥羽上皇は朝廷権力の回復をはかり、京都南方・城南宮に流鏑馬をするといって西国の武士1700名ほどを集め、執権北条義時の追討を命じます。ここに「承久の乱」が始まったのです。

この行列は後鳥羽上皇が開催した流鏑馬のようすを模しています。

鎌倉時代の狩衣姿は今までとうってかわって素朴な感じです。時代が遡ってきていることを実感させてくれます。

藤原公卿参朝列

平安時代に入りました。藤原公卿参朝列。藤原氏全盛期の王朝風俗です。宮中の儀式に参加する文官・武官の正装姿です。

今までとは打って変わって、まさに「王朝絵巻」の世界に入り込んだ感があります。

平安時代婦人列

平安時代婦人列。先頭を馬にまたがってさっそうと行くのが巴御前です。薙刀がカッコいいです!

横笛。『平家物語』に登場するヒロイン。建礼門院の雑仕女で、出家した斉藤時頼=滝口入道をたずねて嵯峨往生院に会いにいくも、会えず、心痛めて出家しました。

常盤御前。源義朝の側室。義朝が討たれた後、子供たちの助命嘆願のために平清盛の館へ向かう時の姿。左右につれているのが今若と乙若。子供の頃絵本などで見た、あの図のそのままで、うれしくなります。

清少納言と紫式部はふたりして曳き車に乗ってます。

清少納言は清原元輔の娘、一条天皇皇后・定子に仕えた女房。『枕草子』の作者。紫式部は藤原為時の娘、一条天皇中宮彰子に仕えた女房。『源氏物語』の作者といわれます。ふたりが会うことはたぶん無かったのですが、紫式部は勝手に清少納言のことをライバル視していたようです…

紀貫之の女=紀内侍。

村上天皇が御所の清涼殿の梅の木が折れたので、かわりの梅の木をさがさせました。家来が西の京で見つけてきた梅の枝には歌がくくりつけてあった。

勅なればいともかしこし 鶯の宿はと問はばいかが答へむ

この歌によって高名な歌人・紀貫之の娘・紀内侍としれた、という話です。

小野小町。

六歌仙・三十六歌仙の一人。花の色はうつりにけりないたずらにわが身よにふるながめせしまに。小倉百人一首9番の歌で知られます。

和気広虫。

宇佐八幡宮神託事件で有名な和気清麻呂の姉。唐風を強く意識した衣装です。

百済王明信。

藤原継縄の妻で百済王氏の出身。桓武天皇の信頼あつく、内侍として天皇を支えました。

延暦時代

延暦武官行進列

桓武天皇の延暦時代に入ります。桓武天皇は延暦13年(794)10月22日、長岡京から平安京に遷都されました。平安京の都市機能は以後10年かけてじょじょに整えられていきました。また平安京の造営と並行して、朝廷に従わない蝦夷の討伐も進めていきました。

この行列は将軍坂上田村麻呂が蝦夷討伐を終えて帰還した様子を模したものです。さすがにここまで時代が古くなると甲冑もだいぶ素朴になってきますね。

延暦文官参朝列

延暦15年(796)文官が朝賀の儀式のため参朝した様子をあらわしています。

まだ平安京遷都まもない頃で、衣装も唐風が強く意識されています。

神饌講社列

ついで神前にお供えする神饌(しんせん=供物)を収めた唐櫃を中心とした神饌講社列、

前列

神幸列にさきがける前列、

神幸列

孝明天皇の御鳳輦(天皇がお乗りになる御輿)、桓武天皇の御鳳輦を中心とした神幸列が続きます。

時代祭のクライマックスといえるでしょう。特に桓武天皇の御鳳輦が通ると、あたりは厳粛な空気となり、深々と拝礼する方もおられました。

神幸列の後は、白川女献花列。

白川女は比叡山から流れる白川の流域に住み、平安京で花などを売り歩いた女たちです。行列はその白川女を模しています。

弓箭組列

行列最後尾を飾るのが弓箭組列。

戊辰戦争における山陰道鎮撫のために丹波国南桑田(現・亀岡市)、船井(現・丹南市)で組織された「弓箭組」を模したものです。時代祭がはじまった当初(明治28年)から、代々子孫有志が御鳳輦を警護して行列に参加しています。

先頭から末尾まで、ちょうど二時間。明治維新から延暦時代まで、駆け足で時代を遡っていく感じがあります。歴史好きにはたまらない祭りです。

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