廬山寺の鬼法楽
私は先日、節分ということで、壬生寺・吉田神社・廬山寺と、京都の節分スポットをハシゴしてきました。今日はその話の続きです。
が、その前に、先日発売しました…
現代語訳つき朗読 おくのほそ道
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さて本日は、廬山寺の鬼法楽の話です。
廬山寺は京都御苑のすぐ東。寺町通りに面した天台系圓浄宗(えんじょうしゅう)の大本山です。紫式部の邸宅跡と伝えられ、また毎年節分に行われる「鬼法楽」通称「鬼おどり」で有名です。
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2018年2月3日、鬼法楽は午後3時開演でした。
行ってみると、すごい人だかりでした。そう広くない境内に人がギッシリでした。
ふだんの境内
鬼法楽
鬼法楽のいわれを言えば、
村上天皇の御世、当山開祖元三大師良源(がんざんだいしりょうげん)が宮中で三百日の護摩経を行った際、貪欲、瞋恚(しんい。怒りや恨み)、愚痴の三つの鬼があらわれ邪魔をした。そこですかさず元三大師良源は護摩の修法を行い、三匹の鬼を退散させた…という故事にちなみます。
さて問題の鬼法楽ですが…長いです。とにかく長い。ゆったり、まったり、時が流れます。
アナウンスが流れて「これから始まります」みたいに言うんですが、それからムニャムニャ本堂でお経を唱えて、鬼が登場するまで、20分くらいかかります。
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鬼が登場したらさすがに盛り上がりました。スマホでカメラで写真撮りまくりです。
松明と宝剣を持った赤鬼(貪欲)
大斧を持った青鬼(瞋恚)
大槌を持った黒鬼(愚痴)
鬼は正面から見るとかなり迫力あります。
三匹の鬼の踊りは、実にゆったりしてます。スローモーションのようです。それも繰り返し、繰り返し、繰り返し…
そして三匹の鬼が超スローダンスとともに本堂の奥に入ってくと、
護摩の修法と邪気払いの法弓によって退散させるわけですが、
またこれが長い。延々とむにゃむにゃむにゃむにゃ…
もう永久に何も起こらないんじゃないだろうかと諦めかけた頃、ようやく鬼たちが苦しみだして、もがきながら退散していきます。
鬼が退散した後は、参拝客に福餅と蓬莱豆をまいて、シメです。
ぜんぶでたっぷり二時間かかりました。その間立ちっぱなしです。「これから始まります」のアナウンスとともに、あちこちでお父さんが子供に肩車して、見えるようにしてやるんですが、何十分経っても鬼が出てこない。アカン…パパもう首もたんわ…とか、そういう声があちこちで上がってました。
京都は東京とはまったく違う時間が流れているなァと、しみじみ実感しました。
廬山寺は、正式には廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)といい、天台系圓浄宗(えんじょうしゅう)の大本山です。洛陽三十三所観音霊場第33番札所(ふだしょ)に数えられます。
平安時代初期の天慶年間(938年~947年)、第18代天台座主良源(りょうげん)によって京都の北・船岡山に築かれた與願金剛院(よがんこんごういん)を前身とします。
室町時代に応仁の乱、元亀3年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより難を受け、天正元年(1573年)豊臣秀吉の都市計画によって現在の位置(京都御所東)に移されました。
その後、相次ぐ火災により堂宇が焼失したため、光格天皇(1771-1840)が仙洞御所(上皇・法皇の御所)を一部を移築され、現在に到ります。
紫式部の邸宅跡
めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かな
紫式部
廬山寺 源氏の庭
廬山寺源氏の庭 紫式部邸宅址
また廬山寺は紫式部の曽祖父藤原兼輔が築いた邸宅の跡地と伝えられます。兼輔が築いた邸宅は鴨川の西の堤防に接していたため「堤邸」と呼ばれ、兼輔は「堤中納言」と呼ばれていました。
(ちなみに有名な古典『堤中納言物語』とは何の関係もありません)その後、息子の為頼、その弟為時へと堤邸は伝えられました。
そして為時の娘紫式部は曽祖父兼輔以来の、この堤邸で生涯の大半を過し、夫宣孝との結婚生活を営み、一人娘賢子(かたいこ)を育て、『源氏物語』を執筆したと伝えられます。曽祖父以来の、文学的素養の上に立っているわけですね!
次回は、松尾芭蕉の生家のある三重県伊賀上野を歩きます。
お楽しみに。
次の旅「宇治のあがた祭り 2018年」