龍安寺を歩く

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本日は石庭で有名な京都市右京区の龍安寺を歩きます。

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龍安寺

バス停竜安寺前下車・徒歩1分。見えてきました。龍安寺の参道です。石畳の道にお土産屋さんがならび、楽しい雰囲気です。

龍安寺 参道
龍安寺 参道

龍安寺について

龍安寺。臨済宗妙心寺派の寺院。もと徳大寺家の別荘だったものを宝徳2年(1450)管領細川勝元が譲り受けて菩提寺としました。応仁の乱で焼失するも、勝元の息子・政元によって再建されました。

一時は23の塔頭を構えるほど栄えましたが、寛政9年(1797)火事で伽藍の多くが焼失。現在の方丈は慶長11年(1606)再建された塔頭・西源院の方丈を移築したものです。

方丈全面の枯山水庭園は有名です。広大な鏡容池も目を見張るものがあります。

鏡容池

山門くぐると、

龍安寺 山門
龍安寺 山門


左に広々した鏡容池(きょうようち)。

鏡容池
鏡容池

徳大寺家によって築かれた人口池で、かつてはおしどりが群れ遊んでいたことからおしどり池とも呼ばれました。衣笠山や朱山(しゅざん)を映し、弁天島や伏虎島(ふしとらじま)を浮かべた池泉廻遊式庭園です。

右に分岐があります。ここから山道を登っていくと一条天皇陵のある衣笠山山頂に至ります。しかし衣笠山山頂への道は、龍安寺の隣の駐車場から直接入ることもできます。つまり一条天皇陵が目当てなら、龍安寺の拝観料を払う必要はありません。とりあえずスルーして進んでいきます。

細川勝元について

龍安寺を築いた細川勝元は、応仁の乱の東軍の大将として知られます。名門細川家の嫡子として生まれ、将軍足利義政のもとで三度管領を務めました。

ライバル関係にあった畠山持国と対抗するため、はじめ山名持豊(宗全)の娘婿となり、結びつきを強めます。しかしその後、畠山氏・斯波氏の家督争い・将軍後継者問題をめぐって山名宗全と対立。

応仁元年(1467)正月18日、山名宗全が細川勝元の支援する管領畠山政長の失脚をはかったことから両者の対立は激化。

上御霊神社の合戦を皮切りとして、以後11年間にわたり、東軍・西軍に分かれて泥沼の応仁・文明の乱が続くこととなります。

細川勝元は東軍の大将として西軍と戦うも、文明5年(1473)戦いの決着のつかないまま、没しました。

このように細川勝元は応仁の乱の東軍大将として有名な一方、禅を愛好したことでも知られ、龍安寺石庭には勝元の禅についての世界観がこめられていると言われます。

庫裏

鏡容池に沿った参道を進んでいき、石段を登ると、


庫裏の入り口です。

龍安寺 庫裏
龍安寺 庫裏

ここから入って方丈に移り、方丈前面の石庭を見ることができます。陶淵明の詩が掲げてあり、雰囲気出してます。

龍安寺 庫裏
龍安寺 庫裏

龍安寺 石庭模型
龍安寺 石庭模型

方丈庭園

方丈の南には枯山水の庭園「龍安寺石庭」が広がります。

龍安寺 石庭
龍安寺 石庭

三方を築地塀に囲まれた東西25メートル×南北10メートルの一面に白砂を敷き詰め、15個の石を配します。

龍安寺 石庭
龍安寺 石庭

龍安寺 石庭
龍安寺 石庭

石の配置が「虎の子渡し」の故事を思わせ、「虎の子渡しの庭」とも呼ばれます。「虎の子渡し」とは中国の『癸辛雜識』にある故事で、虎が三匹子を生むと、その中に一匹は性格の悪い彪がいて、他の二匹を食べてしまう。だから親は川を渡るときに渡り方と三匹の配置に工夫をしなければならないという話です。

しかしこの石庭が「虎の子渡し」をあらわしているというのは一つの説にすぎず、他にもさまざまな解釈が試みられています。

ぼーーっと眺めながら、自分なりのイメージを掻き立てるのがいいと思います。

知足のつくばい

方丈北側には水戸光圀作と伝えられる知足のつくばいがあります。

龍安寺 知足のつくばい
龍安寺 知足のつくばい

真ん中の「口」を上右左下の漢字のつくりに当てるのです。すると「吾・唯・知・足」吾唯だ足るを知ると読めます。禅の格言を図案化したものです。

その後も鏡容池の景色に癒やされながら、龍安寺境内を歩きます。


鏡容池
鏡容池

龍安寺を後に、龍安寺隣の駐車場から衣笠山に上ります。


龍安寺の中からも衣笠山へは行けますが、駐車場から行けば拝観料はいらないので、今回はモデルコースとして、駐車場のほうから登ってみます。


玉砂利道を進んでいくと、まず後朱雀天皇皇后禎子(ていし)内親王陵。

後朱雀天皇皇后禎子内親王陵
後朱雀天皇皇后禎子内親王陵


さらに登って、後朱雀天皇陵、後冷泉天皇陵、後三条天皇陵。

後朱雀天皇陵、後冷泉天皇陵、後三条天皇陵
後朱雀天皇陵、後冷泉天皇陵、後三条天皇陵


このあたりから本格的な山道になります。

イノシシを防ぐための柵が張り巡らせてあります。


夕方になるとイノシシが降りてくるので、近づかないほうがいいとのことです。

石畳の階段を曲がり曲がり登ってくと、



衣笠山山頂
衣笠山山頂

つきました。衣笠山山頂。そして一条天皇陵です。京都の町並みがのびのびと見渡せます。正面にボコンボコンと盛り上がってるのが双ケ丘。写真右から伸びている尾根が嵐山です。

一条天皇陵

一条天皇陵
一条天皇陵

一条天皇(980-1011)。

第66代天皇。64代円融天皇の第一皇子。母は藤原兼家の娘詮子。65代花山天皇のにわかな出家にともない、7歳で位につきました。

一条天皇在位中は藤原道長の全盛期です。藤原氏の豊かな財力のもと、華やかな王朝文化が栄えました。清少納言や紫式部といった女流文学者が出ました。

中宮藤原彰子(道長の娘)との間に生まれた男子が、藤原道長の強い後押しで、後一条天皇、後朱雀天皇として相次いで即位。藤原氏全盛時代が続くこととなりました。

一条天皇 系図
一条天皇 系図

……

本日は石庭で有名な龍安寺、そして龍安寺隣の衣笠山に登りました。龍安寺石庭で枯山水の意味を考えながらぼーっとするのもよし、鏡容池の水面を眺めてぼーっとするのもよし、衣笠山に登って京都の町並みを見下ろすのも最高の気分にひたれます。

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