京都 島原を歩く

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こんにちは。左大臣光永です。
もう桜も散ったなあと思ったら急に雪が降ってみたり、
よくわからない気候ですが、いかがお過ごしでしょうか?

私は四月に入って京都・奈良・飛鳥をしばらく泊まり歩きました。
現在は実家の熊本に戻っています。

しばらく通常の歴史の話題に加えて、旅の道中の
レポートをお届けします。

本日は「京都島原を歩く」です。

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京都島原は……

有力武士や公家などが太夫の歌や舞、音曲を楽しんだ
遊興地です。江戸時代には俳諧や茶の湯の席ともなり、
大規模な文化サロンともなっていました。

京都駅から島原までは歩いて30分ほどです。
私が行ったのは小雨降りしきる朝で、
しっとり濡れた京都の古い町並みが雰囲気ありました。


七条通りを西へ。大宮通りを北へ。
龍谷(りゅうこく)大学付属平安高校・中学を左に、
西本願寺を右に見ながらしばらく北へ進み、
2つ目の花屋町(はなやちょう)通りを西に入ります。

道すがら、「太夫最中」の看板が見え、
花町気分が高まってきす。
花屋町通りの突き当たりのところにあるのが、
島原入口の門です。

島原入口
島原入口

天正17年(1589年)豊臣秀吉が京都を整備するにあたり
二条万里小路(までのこうじ)に
花町「二条柳町(にじょうやなぎちょう)」を開設。

これが慶長7年(1602年)
二条城の造営にともない六条室町に移され、
「六条三筋町(ろくじょうみすじまち)」と呼ばれ、

さらに寛永18年(1641年)、
市街地の西にあたる朱雀野(しゅじゃかの)への移転が命じられました。

この時の移転騒動がまるで当時九州で起こっていた
島原の乱を思わせるということで、以後、
島原と呼ばれるようになったということです(異説あり)。

島原大門
島原大門

島原大門
島原大門

角屋(すみや)

門をくぐって少し通を進むと、
最初の角に「久坂玄瑞の密議の角屋(すみや)」
そして「新撰組刀傷の角屋」の石碑があります。

久坂玄瑞の密議の角屋 碑
久坂玄瑞の密議の角屋 碑

そこから左にちょっと行くと角屋(すみや)跡です。

角屋跡
角屋跡

角屋跡
角屋跡

角屋は島原の揚屋(料亭・遊興施設)で、
明治5年まで営業していました。
建物は現在、重要文化財に指定されています。

毎年4月には「角屋もてなしの文化美術館」として
内部が一般公開されています。

私が行ったの4月ですが、早朝だったので、
残念ながらまだやってませんでした。

文久3年(1863年)9月18日、
小雨のふりしきる夜。

初代新選組局長芹沢鴨はここ角屋で飲んだ帰り、
壬生の八木邸に戻ったところを何者かに殺害されました。
新撰組隊士たちには「長州藩のしわざ」と説明されますが、
指示を出したのは近藤勇という説が有力です。

芹沢鴨がどんなルートをたどって八木邸までもどったか?

検証しながら島原から壬生まで1キロ弱の道のりを
歩いてみるのも、興味深いコースだと思います。

もちろん酒を飲んで、
芹沢鴨気分を高めることを忘れずに…。

しばらく角屋の前にたたずみ、芹沢鴨の最期に思いをはせた後は、

さっきの交差点まで戻って今度は左(北)へ進むと
そこには、輪違屋(わちがいや)があります。

輪違屋
輪違屋

輪違屋は島原の置屋兼お茶屋で、
元禄元年(1688年)の創業。現在も営業を続けており、
日本で唯一「太夫」を抱えるお店です。

見ると「輪違屋」の名のとおり、
輪がふたつつながった形の「輪違紋」が描かれています。

現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたものですが、
その後増改築を繰り返し、
明治4年(1871年)、現在の形に整いました。

太夫道中

ちなみに「置屋」とは太夫が待機している所で、
直接お客を迎えません。
対して「揚屋」が直接お客を迎える所です。

太夫はふだん「置屋」に待機していて、
「揚屋」から呼ばれた時に「置屋」から「揚屋」に
「上がる」という仕組みです。

この時「置屋」から「揚屋」へ
太夫が歩いていくのを「太夫道中」といい、

「かむろ」と呼ばれる少女が太夫を先導し、
その後ろから付き人?が傘を太夫の上にかかげ、
しずしずと歩いていく様子はあでやかの一言です。

私は昨年の秋、滋賀県大津市の伝統芸能館で
平家物語の講演をしたんですが、
その時島原の現役の太夫である菊川太夫(きくがわだゆう)さんが
舞台の上で「太夫道中」を披露してくださいました。

優雅そのもので、見ていてぼうっとしてしましまいした。
私の、勢い任せにがなり立てる喋りの後で、
夢のように優雅な、あでやかな道中。

観客のみなさんにとっても、
きっといい口直しになったと思います。

島原は京都駅から歩いてすぐですので、
朝早く来過ぎて、まだどこの寺も開いていない。
さあどうしようという時にもおすすめです。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

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