京都 吉田神社 『徒然草』吉田兼好ゆかりの神社を歩く
こんにちは。左大臣光永です。なかなか去らない台風にヤキモキさせられることですが、
いかがお過ごしでしょうか?
さて本日も祇園祭前の京都からお届けします。
『徒然草』の作者・吉田兼好にゆかりの、吉田神社です。
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吉田神社 参道
バス停京大正門前でバスを降りると、「吉田神社参道」の文字が見え、はるか先に朱塗りの鳥居が小さく見えます。京都大学のすぐそばで賢そうな学生さんが多く歩いています。
吉田神社参道入口
吉田神社参道
京都大学の正門には「公安の学内立ち入り反対!」といった文字が気合入ってます。最近、京都大学はいろいろ事件がありましたからね。
京都大学
東大にせよ早稲田にせよ、部外者がふらっと立ち寄って散策しててもまったく怒られませんが、京都大学はつまみ出されそうな感じなので、足早に立ち去ります。
(↑これは、私の勘違いでした。元京都大学教員の方からメールをいただきました。京都大学は自由な校風で一般の立ち入りも自由ということです。次回は必ず、立ち入って、ラウンジでワインでも飲んでみます)
すぐに吉田神社一の鳥居です。
吉田神社一の鳥居
白石をしきつめた参道を進み二の鳥居をくぐり、
吉田神社二の鳥居
石段を登ると
吉田神社石段
広い境内です。
吉田神社境内
向かって左手の注連縄を巻いた鳥居をくぐると、そこが吉田神社本宮です。
吉田神社本宮
吉田神社は
健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
伊波比主命(いわいぬしのみこと)
天之子八根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめのかみ)
の四神を祀ります。比売神とは天之子八根命の妻・天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)のことです。すべて奈良の春日社(春日大社)に関係した神様です。
清和天皇の貞観(じょうがん)元年(859年)、中納言藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が古くからの霊域であった吉田山にこれら春日の四神を勧請したのが始まりです。
室町時代の中期、神官の吉田(卜部)兼倶(かねとも)が、吉田神道を大成してから、明治まで神道の権威として吉田神社は影響力を持ち続けました。
吉田兼好
つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
特にやることもないままに、一日中硯にむかって、心に浮かんでは消えていく何ということも無いことを、なんとなく書き付けると、あやしくも狂おしい感じだ。
『徒然草』の書き出しは強い印象を残しますが、作者吉田兼好についてはほとんどエピソードが伝わっていません。同じく「日本三代随筆」の一つされる『方丈記』の鴨長明が人間くさいエピソードを多く残しているのとは対照的です。
吉田兼好についてわずかに伝わっていることは…
吉田神社の神職・卜部兼顕(うらべかねあき)の子であること。鎌倉時代末期から南北朝時代を生きたこと。後二条天皇にお仕えして蔵人・左兵衛佐となったこと。30代で突如、原因不明の出家をしたこと。和歌を二条為世に習い、和歌四天王の一人に数えられたことぐらいです。
吉田兼好の人柄にふれるには、その伝記を紐解くよりも、その人間性を考えるよりも、『徒然草』を読むのが一番です。
ひとり灯(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
一人ともしびの下に書物を広げて、会うことのできない昔の人を友とすることは、とても慰められることである。
あらためて益なき事は、あらためぬをよしとするなり。
改めて益の無いことは、改めないことを良しとするのである。
何章か声を出して読んでいると、枯山水のようなシブイ感じが、癖になってきます。
さて、
地図を見ると、これから山道をのぼった先に神道のすべての神を祀ったという斎場所大元宮(さいじょうしょ・だいげんぐう)があり、その途中の道にもいくつか面白い摂社があるようです。ワクワクしながら坂道を登っていきます。
吉田神社 地図
まず見えてきた左手の鳥居が、世にもめずらしいお菓子の神社・菓祖(かそ)神社です。
吉田神社摂社 菓祖神社
田道間守命(タヂマモリノミコト)と林浄因命(はやしじょういんのみこと・りんじょういんのみこと)を祀ります。
タヂマモリノミコトは、第11代垂仁天皇に仕えた忠臣で、天皇の命により海の向こうの国に非時香菓(トキジクノカグノコノミ)を求めて行ったと『古事記』にあります。そして持ち帰ったのが橘の実です。橘ということから、ここではお菓子の守り神になっているようです。
もう一柱の林浄因命は、日本に初めて飴の入った饅頭を伝えたといわれます。
吉田神社摂社 菓祖神社
社殿はごく小さなものです。狛犬がアメ玉をしゃぶってるとか、ケーキがお供えしてあるとか…特にそういう、お菓子っぽいところは見つかりませんでした。なあんだと思って振り向くと鳥居の裏に…
「京都菓子問屋協会創立二十周年記念」
吉田神社摂社 菓祖神社
なるほど、京都タワーで売ってる八橋とかも、菓祖神社のご加護を受けてるのかと、かろうじて感じ取ることができました。
料理の神社・山蔭(やまかげ)神社
枝うつり ほがらに呼ばふ 小鳥らと
詣でに来つれ 神います丘
枝うつり ほがらに呼ばふ 小鳥らと 詣でに来つれ 神います丘
途中、道端に歌碑を見ながら進んでいくと右手見えてくるのが、これも珍しい料理の神社・山蔭(やまかげ)神社です。
山蔭神社
縁起によると、清和天皇の貞観元年(869年)中納言藤原山蔭は春日の四神を勧請し、ここ吉田山に王城鎮護の神社として吉田神社を開いた。また藤原山蔭はわが国においてあらゆる食物を調理し、古来包丁の祖であり、料理の神であると。
周囲を見渡すと、やはり。
山蔭神社
山蔭神社
「京都府料理飲食業組合」はじめ京都の料亭や飲食店などの名がずらりと並んでいます。京都は飲食業で持っているなあと、改めて実感させられる場所です。
神丘に啼く鶯の﨟たけて
鈴鹿野風呂
神丘に啼く鶯の﨟たけて
「﨟たし」「﨟たけし」は美しく気品があることです。神丘というのは、古来ここ吉田山は神のやどる聖なる山とされていました。
時折、句碑がぽつんと立っているのが、嬉しいですね。散策にアクセントを与えてくれます。もっとも達筆すぎて所々読めません。説明板の一つもあっていいかと思います。
山道を上がったところにあるのが斎場所大元宮です。
斎場所大元宮
入母屋造の茅葺き屋根が目を引きます。
斎場所大元宮
ここには吉田神道で始まりの神とされる虚無大元尊神(きょむたいげんそんしん)をはじめ日本中の八百万の神々をすべて祀ってあるので、ここに参拝すれば日本中の神社に参拝した効果があるということです。便利で経済的ですね。
次回は、京都でもっとも古い場所・神泉苑を訪ねます。
本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。
次の旅「神泉苑~京都最古の史跡」