愛宕神社に登る

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本日は「愛宕神社に登る」です。愛宕神社は東京タワーのそばの愛宕山の山頂にある神社です。講談「寛永三馬術」の舞台として知られます。

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裏山から登る

営団地下鉄神谷町駅で下ります。愛宕山方面へ向かうと、愛宕山の下を通るトンネルが見えてきて、おっと期待が高まります。


トンネルの左のたもとには「愛宕神社参道」の表示が。ここから登っていきます。


あやしげな階段をうねうね登っていきます。こういう狭い通路は冒険の感じがあって、大好きです。



出ました。頂上。向かって右がNHK放送博物館。左が愛宕神社です。


愛宕神社は徳川家康が江戸に幕府を開く際に江戸の防火・防災の守り神として創建されました。祀られているのは火の神・火産霊命(ほむすびのみこと)ほかの神々で、江戸市民から火伏せの神社として信仰されてきました。また、ほおづき市の発祥の地としても知られます。


海抜26メートルは都内随一の高さで、桜の名所として多くの浮世絵にも描かれています。江戸時代には東京湾や房総半島まで見渡せたということです。



江戸の大火災、関東大震災、東京大空襲で焼失し、現在の社殿は昭和33年に建て替えられたものです。

境内は緑が茂り、蝉が鳴きしきり、落ち着いた感じでした。昨日の雨で苔が濡れてぷうんと苔のニオイが漂っていたのがいい感じでした。本堂はす向かいに池があり、コイにエサをやることができます。この日は業者の人が池さらいをしていました。これもいい情緒でした。


エピソード

幕末。桜田門外の変の時、襲撃前の水戸浪士たちがここ愛宕神社で集合したことで有名です。「我らに武運を!」ぱんぱん…なんてことも、やったかもしれません。


官軍の江戸攻撃の三日前。西郷隆盛と勝海舟が会見した際、勝は西郷をここ愛宕山の頂上に誘いました。眼下に広がる江戸の街並み。どうだい西郷さん。この江戸の町を、火の海にしちゃいけねえよ。そいつはいけねえ。勝さん、われらとて、もとよりそのような気はござらん。こうして江戸城の無血開城がなったという話です。

鉄道唱歌の1番にも歌われています。

汽笛一声新橋を
はや我が汽車は離れたり
愛宕の山に消え残る
月を旅路の友として

ちなみに鉄道唱歌東海道編は66番まであり、私はぜんぶ暗記しようと何度か試みたのですが、いまだに達成できていません。で、

愛宕神社でもっとも有名なエピソードといえば講談「寛永三馬術」に描かれた、曲垣平九郎(まがきへいくろう)の話でしょう。


寛永11年正月28日。

三大将軍家光が父秀忠の三回忌に菩提寺である芝増上寺に参詣した帰り道、愛宕神社の階段下を通りかかった所、香ばしい梅の香りが漂ってきました。家光が見上げると、愛宕神社の境内に見事な梅が咲いていました。ほう見事なものじゃのう。誰か、あの山上の梅を取ってこれる者はいないか。ただし、馬に乗ったままでな。

86段の男坂を馬で登る。無茶なと家来たちは驚きます。三人が試みますが、いずれも七分方上った所で馬が暴れて、がらがらがらと転落してしまいました。

「ならば私が」

名乗り出たのは四国丸亀藩曲垣平九郎盛澄なる男です。ゆったりゆったり馬を進めていきます。ふむ、やりおるな。ほくそ笑む将軍家光。

七分方まで進んだ時、馬が緊張したのか立ち止まるので、平九郎はすっと馬の汗をぬぐい、塩をなめさせると、元気を取り戻した馬は、よたっ、よたっと階段を上り、見事頂上に到りました。



曲垣平九郎、ざっと本堂へ向かうと、静に祈りを捧げた後、境内に咲き誇る源平の梅を紅、白一本ずつ手折り、

ぱかっ、ぱかっ、ぱかっ、ぱかっ、ふたたび男坂を下りて行き、将軍家光に梅の枝を献上しました。

「見事!曲垣は日本一の馬の上手よ」

家光は感激して、たいへんな褒美を取らせたという話が、講談「寛永三馬術」に語られています。その舞台となったのが、ここ愛宕神社の男坂。平九郎の話から「出世の石段」とも呼ばれます。40度の勾配はクラクラするほどで、上っている時は階段というより目の前に壁が迫っている感じがあります。

ここを馬で駆け上ることはできても、駆け下りることは難しそうです。境内には平九郎手折りの梅の樹「将軍梅」があります。また、立て看板に丸く穴が空いて自分の顔を出すやつ。あれ、何ていうんですかね。観光写真を撮れるアレも、立っていました。

例のアレ
例のアレ

というわけで、愛宕山・愛宕神社。都内にあって、むしょうに高い所に登ってみたくなった時には、いいかもしれません(スカイツリーもいいですが)。

本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。

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