長谷寺を歩く

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こんにちは。左大臣光永です。

本日は、奈良桜井市の長谷寺を歩きます。長谷寺は初瀬山の中腹にある、真言宗豊山派の総本山です。399段の石段からなる「登廊(のぼりろう)」。本堂の舞台からの眺めも素晴らしく、また四季折々の花が見事で、「花の寺」としても知られます。

平安時代には「初瀬詣(はつせもうで)」で賑わい、『源氏物語』や『蜻蛉日記』『更級日記』といった古典に描かれています。

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長谷寺 登廊

門前町

近鉄大阪線長谷寺(はせでら)下車。

近鉄大阪線長谷寺駅

北口おりて、国道165号線を越え、

水も清らかな初瀬川(はせがわ・はつせがわ)を越え、

初瀬川

しばらく歩くと、長谷寺の参道です。

左右に賑わうお土産屋さん、食事処。さらさらと流れる清水。

老舗の旅館。風情ある町家…旅のわくわく感がこみあげます。

道すがら、長谷寺の塔頭・法起院があります。

法起院

長谷寺を開基し、また観音巡礼の元祖ともされる徳道上人が晩年に隠棲した場所です。

ごくらくは よそにはあらじ わがこころ おなじはちすの へだてやはある 徳道上人

極楽はどこか他所にあるのではなく心の中にある。
死んだら極楽浄土の蓮の葉の上に生まれ変わるのだ。
今の世と、極楽浄土と、何の隔てがあるものか。

山門くぐって正面に本堂、

法起院 本堂

右手に慈抱観音像、

法起院 慈抱観音像

本堂左手に徳道上人の御廟。

法起院 御廟

地蔵尊像、仏足石…

法起院 地蔵尊像

法起院 仏足石

地元の幼稚園生が見学に来てました。ほほえましいことでした。

門前町

法起院を後に参道を進んでいきます。

門前町の賑わいが出てきました。楽しい雰囲気です。「くさ餅総本店 寿屋」の店先にいるネコが、いい感じです。最初、模型かと思ったら生きてました。

見えてきました。

長谷寺仁王門。

長谷寺仁王門

三間一戸・入母屋造・本瓦葺のどっしり重厚な楼門です。両脇には仁王像が、楼上には釈迦三尊十六羅漢像を安置します。

長谷寺仁王門

長谷寺 縁起

長谷寺は初瀬山(はつせやま)の中腹にあります。真言宗豊山派の総本山です。朱鳥元年(686)、天武天皇の病気平癒を祈願して僧・道明が西の岡(本長谷)に銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)を納めたのがその始まりです。

その後、奈良時代に徳道上人が聖武天皇の勅願により東の岡に十一面観音像を安置しました。これが今の長谷寺の直接のルーツとされます。

平安時代には「初瀬詣」がさかんとなりました。初瀬詣の様子は『源氏物語』『蜻蛉日記』『更級日記』などに描かれています。

花山法皇は長谷寺に深く帰依し、

いくたびも まいる心は はつせでら 山も誓いも 深き谷川

と、たたえました。

室町時代以降、庶民の間で伊勢参りが盛んになります。長谷寺は大和と伊勢の途中にあたることから参拝客も増えていきました。西国観音三十三所霊場の第8番札所に数えらています。

仁王門くぐってすぐ正面が、長谷寺名物、登廊(のぼりろう)です。

長谷寺 登廊

平安時代の長暦3年(1039)春日大社の社司(神官)中臣信清が息子の病気平癒のために作らせました。

長谷寺 登廊

本堂まで108間、399段あり、上中下の三廊に分かれています。399段といっても一段一段は低いので、苦にならないです。観音さまの世界へ、今から入っていく。そんな厳粛な気分になります。

長谷寺 登廊

途中、左右に分岐する道や塔頭がいくつかあります。白壁と石垣が見事です。絵になります。

故郷の梅

踊り場状のエリアに出ました。右に蔵王堂。正面に紀貫之の歌にちなむ故郷の梅があります。

長谷寺 故郷の梅

人はいさ心も知らず故郷は 花ぞ昔の香に匂ひける

紀貫之が初瀬詣での時、いつも泊まっていた宿があった。しかし忙しくてここ数年は来られなかった。数年ぶりに宿を訪ねた時、宿の主人が「ずいぶん来てくれませんでしたね」と言った、それに対して貫之が答えた歌です。

人はいさ心も知らず故郷は 花ぞ昔の香に匂ひける…あなたのお気持ちは変わってしまったか、昔のままか。さあどうでしょうか。私には知りようもありません。ただこの梅の花だけは昔のままの香りを漂わせていますね。

百人一首の35番に採られています。

さらに登楼を登っていくと、

本堂のある広いエリアに至ります。

ここに芭蕉句碑

長谷寺 芭蕉句碑

春の夜や 籠り人ゆかし 堂の隅

芭蕉が『笈の小文』の旅の途上、長谷寺に参詣した時の句です。春の夜に一人こもっているあのご婦人は、何を祈っているのだろうか。なんとなく心惹かれる。

古来、長谷寺といえば恋の願掛けをする寺だから、ことによったら艶っぽい願い事でもしてるのかと想像しているのです。

本堂

本堂は慶安3年 (1650)徳川家光の寄進により再建。

長谷寺 本堂

入母屋造・本瓦葺の正堂と礼堂の二つからなる双堂(ならびどう)形式の建物です。

長谷寺 本堂

内部は内陣と外陣に分かれ、内陣に国宝の木造十一面観音立像が安置されます。高さは10メートルを越え、右手には数珠を巻き錫杖を持ち、左手には水瓶を抱えた荘厳なお姿です。おみ足にふれて、ご縁を結ぶことができます。

清水の舞台のような、懸崖造りの舞台が張り出しています。

長谷寺 舞台

舞台からは長谷寺の堂塔伽藍とふもとの家々が一望できます。

青もみじが見事でした。紅葉したらどんなにだろうと思わせます。

本堂奥、境内北側には塔頭の能満院があります。

長谷寺塔頭 能満院

地蔵十像や春日曼荼羅はじめ貴重な絵画が安置されています。能満院前には見晴台がしつらえてあり、ここからの景色も見事です。

開山堂

山を下る途中にも数々の堂塔伽藍があります。

開山堂。

長谷寺 開山堂

聖武天皇の勅願により長谷寺を開基した徳道上人を祀ります。

弘法大師1150年遠忌を記念して昭和59年(1984)に建てられた新しい建物です。

長谷寺 弘法大師御影堂

本長谷寺

朱鳥元年(686)、天武天皇の病気平癒を祈願して僧・道明がお堂を建て、銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)をおさめた所です。

本長谷寺

長谷寺のもともとのルーツであるので「本長谷寺」というわけです。

昭和29年(1954)戦後日本で初めて立てられた五重塔です。「昭和の塔」と呼ばれます。

長谷寺 五重塔

奥の院(興教大師祖堂・陀羅尼堂)

長い石段を上った先に

奥の院。興教大師祖堂と陀羅尼堂の二つの建物からなります。

長谷寺 興教大師祖堂

長谷寺 陀羅尼堂

総檜造の荘厳な建物です。

長谷寺 本坊

寛文7年(1667)四代将軍徳川家綱の援助により建立。明治44年(1911)火事で焼失するも、大正13年(1924)再建。

本日は奈良の長谷寺を歩きました。133段の階段のある登楼、本堂舞台からの眺めも素晴らしく、平安貴族の「初瀬詣で」の昔に思いをはせて歩いてみるのもいいでしょう。

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