石清水八幡宮を歩く
本日は、石清水八幡宮を歩きます。
石清水八幡宮は鴨川・木津川・桂川が合流して淀川となる山崎の対岸・男山の山上にあります。
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このあたりは平安京の裏鬼門(西南)にあたるため、貞観元年(859)奈良大安寺の教行(きょうぎょう)律師が王城鎮護のため大分の宇佐八幡宮を勧請したのが始まりです。
大分の宇佐八幡宮、福岡の筥崎宮とならび日本三代八幡宮の一つに数えられます。八幡太郎義家以来、清和源氏の氏神としても信仰されました。
また教科書でおなじみの、あの話…『徒然草』「仁和寺にある法師」の舞台として有名です。
ケーブルカー
京阪本線・八幡市(やわたし)駅で下車。
雨上がりのカラーーっと晴れ上がった空。日差しは強いが風は秋の涼しさを帯びており、気分いい一日でした。目の前にそびえる山が男山です。
男山山頂の石清水八幡宮に登るには、ケーブルカーを使うか、一の鳥居から表参道を徒歩で登るか、大きく2つの方法があります。今回はケーブルカーで登ります。
ケーブルに乗ること2分。
短っ!男山山上駅です。
ここは石清水八幡宮の北側です。これから細い参道を通って、南総門まで歩いていきます。が、その前に
正面の石段を登ります。
展望台に出ました。
涼しいです。いい風がそよいでくる。
眼下に木津川・宇治川がゆったりと流れています。
はるか向こうに京都タワーが…私の視力ではかろうじて見えます。比叡山、大文字山、愛宕山も見えます。
比叡山…こうして見ると低い山です。『伊勢物語』に富士山のことを比叡の山を20ばかり重ね上げたらんほどしてとありますが、言い得て妙だと思います。
それよりずっと手前の10時の方向には、明智光秀と豊臣秀吉が戦った天王山が見えます。
谷崎潤一郎文学碑
谷崎純一郎文学碑。
わたしの乗った船が洲へ漕ぎ寄せた時男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ、まだどこやら夕ばえの色が残っている中空に暗く濃く黒ずみわたってゐた。
『葦刈抄』谷崎純一郎
谷崎純一郎は関東大震災をきっかけに関西に移住。『春琴抄(1933)』『細雪(1936)』 はじめ関西の風土を生かした多くの作品を書きました。
ケーブル参道
展望台の階段を降り、細い参道を南総門めざして歩いていきます。
9月に入ったとはいえ、まだまだ蝉が鳴きしきっています。でもちょっと声が弱まってる感じかな。
風が涼しいです。山の上であることに加えて木々が鬱蒼としてますからね。ふもとの空気とまるで違います。
この左手に見える盛土の向こうが石清水八幡宮です。期待しながら、歩いていきます。
しばらく歩くと空間がぱっと開けた広場に出ます。
休憩所(石翠亭)があり、シンボルタワー(湧峯塔)があり、
エジソン記念碑があります。
なぜエジソン?
それはエジソンが発明した炭素白熱電球のフィラメントに、石清水八幡宮境内の竹が一番適していたので、使われたということです。それを記念して、昭和9年(1934)電灯発明50周年の際に建てられた記念碑です。
石段を登ると、もう石清水八幡宮の参道です。
すぐ左向くと、そこが南総門です。
右を向くと、はるか先に三の鳥居が見えます。
ケーブルカーによってずいぶんショートカットしたんですね。
石清水八幡宮 縁起
石清水八幡宮は鴨川・木津川・桂川が合流して淀川となる山崎の対岸・男山の山上にあります。このあたりは平安京の裏鬼門(西南)にあたるため、鬼が入ってくると考えられていました。
そこで貞観元年(859)奈良大安寺の教行(きょうぎょう)律師が王城鎮護のため大分の宇佐八幡宮を勧請したのが石清水八幡宮の始まりです。
応神天皇・神功皇后・比売大神(ひめおおかみ)を祀ります。
※比売大神は女神をさす一般名詞で、その正体は諸説あり。
大分の宇佐八幡宮、福岡の筥崎宮とならび日本三代八幡宮の一つに数えられ、八幡太郎義家以来、清和源氏の氏神としても崇められました。『徒然草』「仁和寺にある法師」の舞台として有名です。
かつては神仏習合により境内に多くの寺がありましたが、明治の廃仏毀釈によりあるいは取り壊され、あるいは移転させられました。境内のそこかしこに見られる石灯籠は、神仏習合時代の名残です。
そして石清水八幡宮といえば、誰もが学校で習ったのが『徒然草』「仁和寺にある法師」です。
仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。
『徒然草』第五十二段
という、教科書で有名な『徒然草』「仁和寺にある法師」を唱えつつ…
南総門
南総門をくぐります。
神楽殿
参道左手に神楽殿(かぐらでん)。
御本殿
正面に幣殿とその奥に御本殿。
鬱蒼と茂る木々の緑に、丹塗りの社殿が映えます。参道に対してちょっと斜めに、角度つけて配置してあるのが特徴的です。
寛永11年(1634)徳川家光の寄進。極彩色に彩られた絢爛豪華なたたずまいは、桃山文化の息吹を現代に伝え「やわたの八幡さん」として親しまれています。
しっかり手を合わせていきましょう。
信長塀
石清水八幡宮全体を取り巻いている塀は、織田信長が天正8年(1580)寄進したもので「信長塀」と呼ばれます。
瓦と土を交互に重ね合わせてあり、耐火性・耐久性にすぐれています。東京は谷中・観音寺の築地塀も、こんな作りだったなあと、なつかしく思い出しました。
摂社
本殿裏手に若宮社・貴船社・住吉舎など、数々の摂社があります。
鬼門封じ
本殿北東の角にある「鬼門封じ」にも注目したいところです。
丑寅(北東)の方角は鬼門とされ、鬼が来ると言われているので、それを封じるために、石垣の一角を斜めに切り取ってあります。
一般住宅でもありますよね。丑寅の方角の敷地を一画、三角形に削って、そこにポンと石が置いてあったりする、アレです。
楠木正成公の楠
御神木の楠。楠正成公が建武元年(1334)必勝を祈願して奉納したと伝えられます。
樹齢700年の神木で京都府の天然記念物に指定されています。
三の鳥居
さて、行きしにはショートカットした三の鳥居まで行ってみます。鎌倉鶴岡八幡宮でいえば、若宮大路を南へ向かい、鎌倉駅へ出るわき道を通り越して、ちょこっと由比ヶ浜方向まで行く感じです。
参道左右に立ち並ぶ石灯籠が見事です。
ほどなく着きました。三の鳥居です。
ケーブルカーを使わずに歩いてふもとから登ってくると、これが三番目にくぐる鳥居というわけです。この表参道をひたすら下っていくと二の鳥居、一の鳥居に至るわけですが…
あえて表参道ではなく、裏参道を下ってみます。地図見ると面白そうな摂社など、いろいろあるので。
裏参道は表参道よりずっと薄暗いです。木々が鬱蒼としています。
鳴いている蝉の種類も違うような気がします。道すがら、石清水八幡宮の東総門を見ながら、うねうね歩いていていきます。
石清水井・石清水社
所々、神仏習合時代の名残の石灯籠が立っています。かつてたくさんの僧坊が立ち並んでいたんですね。それが、明治の廃仏毀釈によって、あるいは破壊され、あるいはよそへ移されたと…。
石清水社です。風格を感じる鳥居です。
正面に石清水の井戸・右手が岩清水社の社殿です。
アメノミナカヌシノカミを祀ります。この神は『古事記』にある世界のはじめに現れた神です。
松花堂跡
江戸時代初期の文化人・松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)が、晩年庵を結んで隠棲した土地です。
松花堂昭乗は「寛永の三筆」に数えられる能書家で、茶人としても画においても優れていました。当時、石清水八幡に多くの宿坊がある中に、松花堂昭乗は宿坊「瀧本坊」の住職でしたが、引退後、この場所移り、名を松花堂と名付けた、ということです。
大谷川沿い
その後、七曲の石段をひたすら下り…
ふもとまで下りてきました。最初にケーブルカーに乗ったとは反対側に下りたようです。ふもとには大谷川が流れています。
きれいな水です。流れているか流れていないかというくらい、ゆっくりゆっくり水が流れています。
安居橋(あんごばし)
お、
いい感じの橋がかかってるじゃないですか。
安居橋(あんごばし)。
こういう橋は、どうしたって渡りたくなります。
橋の脇の石段を下りて、水際まで行って、すっと水に手をつっこんで、川と縁を結んできました。
能蓮法師の歌碑
川沿いに能蓮法師の歌碑
石清水
きよき流の絶えせねば
やどる月さへ隈なかりけり
石清水では清き流れが絶えることなく流れているので、
そこに映り込む月までも、少しも影がなく輝いている。
「この歌は 文治元年(1185年) 九月に催(もよお)された石清水八幡宮の歌合せにおいて 能蓮法師が詠んだもので、 千載和歌集(せんざい わかしゅう )に収められている」と、案内板にあります。
さて。石清水八幡宮ふもとの駐車場の脇に、高羅社があります。
例の『徒然草』仁和寺の法師の話で、法師が「これが石清水八幡宮なんだな」と勘違いしてしまった神社です。
土と木の匂いがすごいです。むせかえるようです。
拝殿の後ろには、御神木のタブの木。ボコンボコンボコンと、ものすごいコブがついてます。
それにしても、小ぢんまりとした境内です。いくらなんでもこれを石清水八幡宮には間違えないと思うんですが…
ここでもう一回『徒然草』を唱えます。
仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。
『徒然草』第五十二段
頓宮~一の鳥居
…と、『徒然草』を唱えながら、頓宮、一の鳥居まで来ました。
本来なら、こちらから順番に参詣する形となります。今回はケーブルカーで登って逆に下りてきましたが、次は一の鳥居から順番に歩いて登ってみようと思います。
振り返ると、鳥居ごしに、今下ってきた男山が、青々と見えました。
こういう景色を見ていると、山というのは古来、それ自体が神様として信仰されてきたんだなァと、改めて気づかされます。
次の旅「山崎・水無瀬を歩く~後鳥羽上皇の離宮跡」