上賀茂神社を歩く(一)
本日は上賀茂神社を歩きます。
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上賀茂神社は正式には賀茂別雷(かもわけいかづち)神社。神代の昔、本殿北北西の「神山(こうやま)」に賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)が降臨したのが始まりとされます。その後、平安京に都が遷ると下鴨神社とあわせて王城鎮護の社として信仰を集めました。
広大な境内を流れる御手洗川(みたらしがわ)、御物忌川(おものいがわ)の水はとても美しく、毎年6月30日には夏越大祓(なごしのおおはらえ)という、一年前半のケガレを祓う神事が行われます。その様子は百人一首98番・従二位家隆の歌に詠まれています。
また5月5日の賀茂の競馬(くらべうま)、5月15日の葵祭も、京都に欠かせない行事です。
賀茂川河川敷
上賀茂神社に行くには京都駅から上賀茂神社行きに乗ってバス停上賀茂神社前で降りるのが普通ですが、あえてかなり手前の烏丸北大路バスターミナルで降りて、賀茂川河川敷の景色を楽しみながら行ってみます。
コーラスの練習をする人、シャボン玉を飛ばす人、水遊びに興じる家族連れ、水面に遊びたわむれるカモたち。平和な日常の景色がそこにありました。賀茂川からの風がびゅうびゅう吹いて気分いいです。
鴨川(賀茂川)河川敷はいくら歩いてもタダってのがいいです。京都はどこ行ってもお金取られますけども、この豊かな鴨川(賀茂川)の景色をタダで毎日で歩ける。最高です。京都に観光で来たけど朝早く到着しすぎて、まだどこも開いてない!という時にもおすすめです。
一の鳥居~二の鳥居
御園橋(みそのばし)を渡ると、もうそこが上賀茂神社です。
団体の観光客の合間を縫って、進んでいきます。一の鳥居くぐります。広々としてます。玉砂利をしきつめた参道が真ん中に走り、左右は広々した芝生です。
「すみません!30秒だけ止まってください」
止められました。何だと思ったら、時代劇の撮影でした。上賀茂神社はよく映画の撮影に使われます。
外幣殿げへいでん(御所屋ごしょのや)
参道右手が外幣殿。天皇・上皇の御幸・摂政関白の賀茂詣の際の著到殿(ちゃくとうでん。まずここに入って装束などを整える御殿)です。
ならの小川
参道右手を流れるのが「ならの小川」です。これは境内を流れる御手洗川が下流で名を変えたものです。
百人一首98番・従二位家隆の歌に詠まれています。
風そよぐならの小川の夕暮れは
みそぎぞ夏のしるしなりける
風そよぐならの小川では夕暮れ時に、一年の前半のケガレを払う
夏越の大祓(なごしのおおはらえ)が行われている。
もうすっかり風は涼しく秋の風情だが、
その、夏越の大祓のみそぎを行っていることだけが
今が暦の上ではまだ夏なのだということを示している。
「夏越の大祓」は毎年6月30日に行われる、上半期の穢れをはらう神事です。境内の「橋殿」にて神官が中臣大祓詞(なかとみのおおはらいことば)という祝詞を上げ、穢れをこすりつけた「人形(ひとがた)」を境内の「ならの小川」に流し、上半期の穢れをはらいます。
二の鳥居をくぐります。境内です。
上賀茂神社 縁起
上賀茂神社は正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)。下鴨神社こと賀茂御祖神社とあわせて「賀茂社」と総称します。祀神は賀茂別雷神。下鴨神社の祀神である玉依媛命(たまよりひめのみこと)の息子です。
神代の昔、本殿の北北西にある神山(こうやま)に賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)が降臨したのが始まりとされます。欽明天皇(仏教伝来の時の天皇)の時にはすでに祭礼が行われ、天武天皇の時代には社殿が建てられました。
その後、平安京に都が遷ると王城鎮護の社として伊勢神宮につぐ神社として崇められます。
賀茂の斎院(斎王)
賀茂の斎院について。
弘仁(こうにん)元年(810)、嵯峨天皇皇女・有智子(うちこ)内親王が初代「賀茂の斎院(斎王)」を務められてから、歴代の皇女が斎院として、上賀茂神社・下鴨神社に仕え、国家安泰を願いました。
「賀茂の斎院」は占いによって選ばれ、病気で斎院を下るほかは、天皇が崩御しても下ることはありませんでした。毎年四月に行われる賀茂祭(葵祭)で、賀茂の斎院は斎院を出御し、勅使の行列とともに上賀茂神社・下賀茂神社に参拝しました。
その晩は上賀茂神社に一泊し、翌日、また行列をなして斎院に帰っていきました。その、斎院が帰っていく道行きも「賀茂の帰(か)えさ」と呼ばれ、人々は競って見物しました。
歴代の「斎院」の中からは選子(せんし・のぶこ)内親王(村上天皇皇女)や百人一首に歌を採られた式子(しょくし・のりこ)内親王(後白河法皇皇女)など、すぐれた女流歌人も出ました。
後鳥羽上皇皇女・礼子(れいし・いやこ)内親王が斎院の最後です。その後は財政難により斎院は廃止されました。
細殿・立砂
境内正面に見えるのが細殿(ほそどの)です。
砂を三角錐の形にかたどった立砂(たてずな)が左右に盛ってあり、立砂の頂上には陰と陽をあらわす松の葉が立っています。
この間びびびーっとと電気が走って、賀茂別雷神がご降臨されるわけです。
橋殿
細殿の右に橋殿・土屋(つちのや)が並びます。
橋殿は毎年6月30日「夏越の大祓」において、神官が中臣大祓詞(なかとみのおおはらいことば)という祝詞を上げ、穢れをこすりつけた「人形(ひとがた)」を境内の「ならの小川」に流し、上半期の穢う場所です。
文久3年造替…おお、新選組ができた年じゃないですか。そんな昔から、ここにあるんですね。嬉しくなります。
土屋
土屋は神主以下の著到殿(ちゃくとうでん。まずここに入って装束などを整える御殿)で、現在は祓所(はらえど。神職がこの建物の前で大幣を降って、参拝者のケガレを祓う場所)として使われています。
橋本社
さて上賀茂神社には多くの摂社がありますが、私は今回、岩本社と橋本社に注目したいんですよ。ともに『徒然草』に描かれています。
賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり。人の常に言ひまがへ侍れば、一年(ひととせ)参りたりしに、老いたる宮司(みやづかさ)の過ぎしを呼びとどめて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗(みたらし)に影のうつりける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚(よしみずのかしょう)、
月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はここにありはら
と詠み給ひけるは、岩本の社(やしろ)とこそ承りおき侍れど、おのれらよりは、なかなか御存知などもこそさぶらはめ」と、いとうやうやしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。
上賀茂神社の摂社である岩本社と橋本社は、在原業平と藤原実方をまつる。(どちらの社がどちらの人物を祭っているか)人がいつも言い間違うので、一年前参詣した時に、年老いた神社の職員が通り過ぎるのを呼び止めて尋ねた所、「実方を祀った所は、御手洗川に影が映った所と申しますから、橋本は、やはり水の流れが近いので、橋本には実方を祀ったものと思われます。吉水和尚(よしみずのかしょう)こと天台座主慈円さまが、
月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はここにありはら
月を愛で、花をながめた昔の優美な人・在原業平は、ここに祀られている。
とお詠みになったのは、岩本の社と承っておりますが、自分たちよりは、貴方がたのほうが、かえってお詳しくてもいらっしゃるでしょう」と、たいそう礼儀正しく言ったのは、実に立派に思えた。
御札とか売ってる建物の横にぽつねんとあるのが、橋本社です。
衣通姫を祀ると説明板にはありますが、『徒然草』によると藤中将実方を祀っているそうです。
手水舎
手水舎(ちょうずや)の水は御神体の山・神山(こうやま)から溶け出した水です。しっかり手を洗って参拝しましょう。
片岡社(片山御子神社)
境内を流れる御手洗川にかかっている梓橋を渡ります。
現在、上賀茂神社は平成32年の第42回式年遷宮に向けて檜皮葺屋根の葺き替え作業を行っています。
→2018年10月、楼門の修理が終わりました。
まず見えてきたのが。
上賀茂神社・第一摂社の片山御子神社です。
上賀茂神社の祀神である賀茂別雷神の母である玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀ります。
※「タマヨリヒメ」は「魂が寄る女性=巫女」をあらわす一般名詞です。たとえば初代神武天皇の母君もタマヨリビメといいますが、別神です。
縁結びにご利益があるということで。良縁を求める人々の願いのこもった絵馬が、たくさん奉納されています。
紫式部の歌碑
道すがら、紫式部の歌碑がありました。
ほととぎす声まつほどは片岡の
もりのしづくに立ちやぬれまし
ほととぎすの声を待っている間は、片岡の森の雫に立ったまま濡れていましょう。
岩本社
摂社の岩本社です。いい所に建ってます。
ぼちゃぼちゃぼちゃ~と水音が常に響いています。『徒然草』によると在原業平を祀るらしいです。
賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり…
月をめで花をながめしいにしへの
やさしき人はここにありはら『徒然草』第六十七段より
しかし案内板によると底筒男神(そこつつおのかみ)・中筒男神(なかつつおのかみ)・表筒男神(うわつつおのかみ)の住吉三神を祀るとあり、在原業平については触れていません。
次の旅「上賀茂神社を歩く(二)」