壬生寺の節分会

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こんにちは。左大臣光永です。
節分の今日、いかがお過ごしだったでしょうか?

私は壬生寺と、吉田神社、廬山寺と節分のはしごをしてきましたので、今日はその話です。

京都はあちこちの寺や神社で盛大に節分会をやりますが、特に壬生寺、吉田神社、廬山寺の節分会は有名です。

その中にも壬生寺は、「壬生狂言」で有名な寺であり、また新選組ゆかりの寺としてもよく知られています。

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四条通りから坊城通へ

バス停壬生寺道、もしくは阪急京都線大宮駅。もしくは嵐電の四条大宮駅が近いです。

四条通から坊城通りに入り南へ南へ歩いていきます。左右に出店が並び、お祭りのワクワク感があります。



道すがら、包絡(ほうらく)とよばれる素焼きのお皿を売ってます。


これに家族の名前と年齢、性別を書いて、壬生寺に奉納します。すると4月に行われる壬生狂言の演目の中で割られ、厄が祓われるという仕組みです。


新選組の屯所跡が見えてきました。

坊城通を挟んで東が(旧)前川邸、


西が八木邸です。



文久3年(1863)2月23日、新選組の前身たる浪士組は、京都に到着し、ここ壬生の八木邸に荷をおろしました。

文久3年(1863)9月に初代局長芹沢鴨が暗殺された後は近藤勇が局長となり、新選組と名をあらためました。元治元年(1864)の池田屋事件、同年7月18日の禁門の変で勇名をはせたのも、新選組がここ壬生に屯所を置いていたころの話です。

前川邸は現在個人の家となっており入れませんが、八木邸は一般公開されています。

係りの方の危機迫る解説とともに、芹沢鴨が暗殺された、まさにその暗殺の現場に立つことができます。


壬生寺 縁起

八木邸と同じブロックにあるのが壬生寺です。

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正暦2年(991)、園城寺(三井寺)の僧快賢が仏師定朝作の地蔵菩薩立像を安置したのが始まりとされます。後に地名から壬生寺と言うようになりました。



「壬生狂言」は正式には「壬生大念佛狂言(みぶだいねんぶつきょうげん)」といい、中興の祖・円覚上人が悪疫をはらうためにはじめた無言劇です。

一切セリフを使わず、演者の仕草と鐘と太鼓の音だけで表現するため「壬生さんのカンデンデン」とも呼ばれています。

毎年節分と春、秋に本堂右手の大念仏堂の中で上演されています。

節分の2日と3日は一日に八回、その名も「節分」という演目が公開されます。

すでに大念仏堂の前には大変な行列ができていました。

大念仏堂(普段の様子)
大念仏堂(普段の様子)

壬生狂言「節分」。

そのあらすじを言えば、

節分の日。屋敷の女主人が豆を用意し、魔除けに柊の葉に鰯の頭をさして戸口に祀った。

そこへ、旅人の格好をした鬼がやってくる。

女主人はあわてて逃げ出す。

うひひ、こんなものが何だ。たわいもない。

鬼は鰯の頭をむしゃむしゃと食べると家に上がり込み、一計を案じる。魔法の打ち出の小槌で着物を出して変装すると、女主人を呼び戻す。

そして打ち出の小槌をふるって、どうぞどうぞ、いくらでも何でも出て来るんですよと、着物を出して、ご馳走を出して、酒を出す。女主人、まあまあ不思議ですわねえ、ささとりあえず一献。鬼に酒をすすめる。

そのうちに鬼が酔いつぶれて寝てしまうと、女主人は欲を出して、あの不思議な打ち出の小槌があれば…一生贅沢放題だわと、小槌をすっとうばって、あらいいもの着てるわね、これも金になりそうだわと鬼の衣まではぎとってしまう。

鬼もさすがに気づきます。あっ、おっ、打ち出の小槌が無い。てゆうか俺、裸だ。あっ、やられたっ!

よくも!

鬼、女主人に襲い掛かる。女主人、すかさず豆を手に、鬼は外。じやっ。ああっ…。鬼は外。じゃっ。ぎゃあ…。鬼は外。ひいい、かなわぬ…

ついに鬼は撤退していった…こういう話です。私の説明では例によってギャアギャアとうるさいですが、壬生狂言は身振り手振りだけのパントマイムです。豆まくまでたっぷり45分かけて演じます。

粗筋きいておわかりと思いますが…豆まいてるほうも、けっこうロクでもないヤツなんですね。

主人公側もけして聖人君子ではなく、わりロクでもない生身の人間である。このへんも庶民のものとして発展してきた壬生狂言の面白さかなと思います。

大護摩祈祷

壬生狂言を見終って大念仏堂から出ると、本堂の前で大護摩祈祷(おおごまきとう)が始まるところでした。


信者から奉納された護摩木を焚いて厄除けを祈願する儀式です。

中央には木材をヒノキの葉で覆った護摩壇が立てられています。

法弓(ほうきゅう)の儀

まずは法弓の儀が行われます。


護摩壇を中心とした結界の四方、中央の護摩壇と鬼門(東北)の六つの方角に矢を放ち、邪気を祓います。

法剣(ほうけん)の儀・法斧(ほうふ)の儀

ついで剣で空中に文字を書く法剣(ほうけん)の儀、斧を使って護摩壇を築く作業を模した「法斧の儀」を経て、


点火

護摩壇に山伏が火をつけます。

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ものすごい煙が出てます。ゲホゲホ咳き込むほどでした。



火がゴオゴオと燃える背後からは、坊さんたちの唱える生のお経が響き、なんとも言えない厳かな雰囲気を醸し出していました。



壬生寺参道の右手には壬生塚の入り口があります。


壬生寺は新選組の最初の屯所である八木邸・前川邸のすぐそばにあり、新選組隊士もたびたび出入りしていました。

芹沢鴨も近藤勇も壬生狂言を楽しんだというし、沖田総司は壬生寺の境内で子供たちを引き連れて遊んだそうです。


正面に見えるのは「あゝ新選組」の歌碑です。


あゝ新選組
作詞 横井弘
作曲 中野忠晴

賀茂の河原に 千鳥が騒ぐ
またも血の雨 流れ雨
武士という名に 命をかけて
新選組は 今日もゆく

恋も情けも 矢弾に捨てて
軍かさねる 鳥羽伏見
ともに白刃を 淋しくかざし
新選組は 月に泣く

菊のかおりに 葵が枯れる
枯れて散る散る 風の中
変わる時勢に 背中を向けて
新選組よ 何処へ行く

以前は100円必要でしたが、今はボタン押すだけで無料で音が出ます。

右手には近藤勇の胸像。


まだ若く、精悍な印象を受けました。
横顔が特に若々しいです。

新選組結成当初の、青雲の志に燃えた頃でしょうか。

近藤勇像の脇に、芹沢鴨と平山五郎の墓の復元したもの。


大の酒好きであった芹沢先生の墓ですから、酒がお供えしてあることが多いです。

こうして壬生塚をぶらついてる間にも、カンデンデン、カンデンテン…壬生狂言の音が響いてきます。近藤勇も芹沢鴨も、この音を聴いたかと思うと、しみじみ感慨深いものがあります。

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