南禅寺を歩く
本日は南禅寺を歩きます。
南禅寺は鎌倉時代に亀山天皇の離宮跡を禅寺としたものです。石川五右衛門の絶景かなで有名な三門、金地院、天授庵といった景色豊かな塔頭、そして南禅寺水路閣と、京都の旅を満喫できます。
↓↓↓音声が再生されます↓↓
https://roudokus.com/mp3/Nanzenji.mp3
ねじりまんぽ
地下鉄東西線 蹴上駅下車。
ねじりまんぽ
蹴上インクラインの下を通るトンネル「ねじりまんぽ」をくぐります。
重さに耐えられるようにレンガを螺旋状に、ねじったように積み上げてあるので、ねじりまんぽです。
ねじりまんぽ
扁額には、琵琶湖疏水の発起人となった第三代京都府知事・北垣国道の文字があります。中はヒンヤリ冷たいです。
ねじりまんぽを抜けて、南禅寺への道を進みます。
道すがら、左に見えてきたのが金地院です。
金地院
金地院は室町時代の応永年間に大業和尚が将軍足利義教の帰依を受けて京都北山に建立した寺院です。江戸時代はじめの慶長年間、徳川家康の側近として活躍した金地院崇伝が南禅寺の塔頭として移築・再建しました。
金地院 庫裏
明智門
受付をすませると、正面に明智門。
金地院 明智門
明智光秀が天正10年(1582)母の病気平癒のために大徳寺に建立した門です。後に南禅寺に移されました。
弁天池
弁天池です。緑豊かで心癒されます。
金地院 弁天池
中島にかつて弁財天が祀られていたため、弁天池です。木々の葉っぱが昨夜の雨に濡れて、しっとりした感じが最高でした。
東照宮
徳川家康を祀る東照宮。
金地院 東照宮
金地院 東照宮
金地院 東照宮
寛永5年(1628)、金地院崇伝が家康の遺髪と念持仏(いつも身の回りに置いて信仰するための小さな仏像)を治めて造営したものです。
拝殿天井の鳴き龍は狩野探幽の筆。三十六歌仙絵は土佐光起(とさ みつおき)の筆です。
方丈
方丈。小堀遠州作庭による「鶴亀の庭」が見渡せます。
金地院 鶴亀の庭
方丈襖絵は狩野探幽・尚信(なおのぶ)兄弟の秀作です。
冬の寒い朝なんかは、こけら葺の屋根からじわーーと霧が立ち上り、幻想的な景色が楽しめます。
南禅寺
金地院を後に、金地院前の道を北に進んでいくと門をくぐると、そこがもう南禅寺の参道です。
南禅寺 参道
南禅寺 中門
中門をくぐると…緑豊かな境内です。
側溝に水がザバザバ流れており、生命力にあふれた感じです。
南禅寺について
南禅寺は、臨済宗南禅寺派の大本山。文永元年(1264)亀山天皇が造営した離宮「禅林寺殿(ぜんりんじどの)」を前身とします。
ある時、亀山天皇が妖怪に悩まされていると、東福寺住持・無関普門がお経を読むわけでもなく、ただ座禅するだけで、妖怪は姿を消しました。
すこぶる感謝なことである!
亀山天皇は無関普門禅師に深く帰依してご出家され、禅林寺殿を無関普門禅師に与え、大明国師・無関普門禅師を開山として禅寺を開きました。これが南禅寺の始まりです。
二代住持の時、後宇多法皇より南禅寺の号を与えられます。
三代将軍足利義満が相国寺を築くと、南禅寺は「五山之上」として禅宗の最高位に置かれます。
応仁の乱や比叡山衆徒の焼き討ちで荒廃しましたが、桃山時代。徳川家康の側近を務めた金地院崇伝によって復興されました。
高いです
まず、南禅寺は高いです。
金地院 400円
三門 500円
天授庵 500円
南禅院 300円
方丈 500円
ぜんぶ回ると2200円。駐車場使うとさらに1000円かかります。これ、一人ならまだいいですけど親戚を何人か案内するとかだと大変ですね~。
清水寺や金閣・銀閣とくらべて修学旅行生が少ないのも、わかる気がします。
ただし、三門を見上げ、法堂に参詣し、水路閣を見るだけなら無料です。必要に応じて予算を投入してください。
三門
中門から北隣りにある勅使門まで前進し、
南禅寺 勅使門
勅使門前の参道を進んでいきます。正面にそびえるのが三門です。
南禅寺 三門
南禅寺三門は高さ約22メートル。入母屋造り・本瓦葺。京の三大門の一つです(ほかは知恩院三門、仁和寺二王門)。
南禅寺 三門
山門と書くこともありますが正しくは三門です。人間が持つ三つの煩悩を、門を通り抜けることで解脱するという考えから来ています。
南禅寺 三門
歌舞伎『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』で、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」と見栄を切る場面で有名です。寛永5年(1628)藤堂高虎が大阪夏の陣の死者を弔うために再建しました。
南禅寺 三門からの眺め
楼の上には仏師左京による釈尊像・十六羅漢像が安置されています。京都の町並が見渡せ、正面に清水寺の舞台が見えているのも、気分高まります。
南禅寺 三門からの眺め
南禅寺 三門からの眺め
南禅寺 三門からの眺め
天授庵
三門に向かって右隣には、天授庵があります。
天授庵
南禅寺開山・大明国師無関普門(むかんふもん)禅師を祀った寺院です。
天授庵 庫裏
この地にはもともと亀山天皇の離宮「禅林寺殿」がありました。ある時、亀山天皇が妖怪に悩まさていると、東福寺住持・無関普門がお経を読むわけでもなく、ただ座禅するだけで、妖怪は姿を消しました。
そこで亀山天皇は無関普門禅師に深く帰依してご出家され、禅林寺殿を無関普門禅師に与え、大明国師無関普門禅師を開山として禅寺を開きました。これが南禅寺の始まりです。
その後、開山無関普門の名は長く忘れられていましたが、15代南禅寺住持が光厳上皇の勅許を得て、天授庵の前身となる開山塔を築きました。
その後、応仁の乱で焼失し、慶長7年(1604)細川藤孝(幽斎)によって再興されました。
本堂には開山無関普門禅師の等身大の像を安置し、ふだん非公開ですが、長谷川等伯の襖絵三十二面があります。
本堂前庭の枯山水庭園と、書院南庭が一番のみどころです。
枯山水庭園は長短二本の石畳を配し、
天授庵 本堂前庭
書院南庭は中央の池を中心に、四季折々の草花を楽しむことができる池泉廻遊式庭園となっています。
天授庵 書院南庭
天授庵 書院南庭
天授庵 書院南庭
天授庵 書院南庭
天授庵 書院南庭
法堂
天授庵を後に、境内中央の参道を進みます。
見えてきました。法堂です。
南禅寺 法堂
豊臣秀頼によって再建されましたが、それも焼失し、現在の法堂は明治42年(1909)再建されたものです。天井の今尾景年(いまおけいねん)画伯による雲龍図が、かすかに覗き見えます。
法堂に限らず南禅寺の伽藍は創建時ものは一つも残っていません。すべて室町時代、江戸時代以降に再建されたものです。
水路閣
境内の東南にはレンガ造りの水路閣が立っています。
南禅寺 水路閣
この上を、疏水の分水が流れています。全長約93メートル幅4メートル。明治23年(1890年)竣工。ローマの水道橋を模して作られました。
南禅寺 水路閣
今でこそ苔むして寺の景色の中に溶け込んでいますが、建った当時は反発も大きかったといいます。景色が台無しだと。
南禅寺 水路閣
疏水分水はこの後、第四隧道・第五隧道・第六隧道を抜けて、「哲学の道」として知られる小路沿いを流れて北上していきます。
南禅寺 水路閣
南禅院
水路閣をくぐって階段を上り、一段高くなったところに、南禅院があります。
南禅院
南禅院
南禅院は亀山天皇が築いた離宮「禅林寺殿」の跡地で、南禅寺発祥の地です。方丈と、中心に心字池のある池泉回遊式庭園から成ります。方丈の中央には亀山法皇の木像が安置されています。
南禅院 亀山天皇分骨所
南禅院 一山國師塔
南禅院 心字池
方丈
法堂の東…境内一番奥にある建物が書院です。
南禅寺書院
ここで靴を脱ぎ、入場料を払い、広い廊下を通っていくと、方丈に出ます。
南禅寺 方丈庭園
大方丈と小方丈に分かれます。大方丈は寝殿造りの建物で、襖絵は桃山時代の作品で、花鳥図は狩野元信、人物画は狩野永徳作と伝えられます。
南禅寺 方丈庭園
小方丈は大方丈に接続した小さな建物で、伏見城の遺構と伝えられます。
南禅寺 方丈庭園
大方丈、小方丈ともに枯山水の庭園に面し、東山の緑を背にて、いい感じです。廊下づたいに、すべての枯山水庭園を見ることができ、石の配置の意味を考えて、これは何をあらわしてるんだろう、思いながら歩くのも、いいですね。
南禅寺 方丈庭園
南禅寺 方丈庭園
南禅寺 方丈庭園
本日は南禅寺を歩きました。石川五右衛門の絶景かなで有名な三門、金地院、天授庵といった景色豊かな塔頭、そして南禅寺水路閣と、京都の旅を満喫できます。
ぜんぶ歩くと料金がそれなりにかかってしまいますが、そこは予算と相談しつつ!歩いてみてください。
次の旅「六角堂を訪ねる」