京都 六角堂を訪ねる

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こんにちは。左大臣光永です。週の半ば、いかがお過ごしでしょうか?

小雨が降った夜なんかに遠くで車が走ると、さーーっと音が響くじゃないですか。あの車のさーーを、部屋にいながら遠耳に聞くのが、いい感じで落ち着きます。ついもう一杯と酒を空けてしまいます。

さて本日は、京都六角堂を訪ねます。

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六角堂へ

地下鉄烏丸線烏丸御池(からすまおいけ)駅、またはバス停烏丸三条で下ります。六角通りに入り、すぐ左手に見えるのが六角堂こと紫雲山頂宝寺です。



紫雲山頂宝寺。本堂が六角形のお堂なので、俗に六角堂と呼ばれます。創建は平安遷都以前といわれます。

聖徳太子が四天王寺を創建する際、用材を求めてこの地をさまよっていた時、お告げによってこの地にお堂を建てたのが始まりとされます。

弘仁2年(822年)嵯峨天皇の勅願所となり、長徳2年(996年)花山法皇の御幸があり、西国三十三所観音霊場の第十八番札所となりました。

建仁元年(1201年)親鸞聖人がここ六角堂で百日間にわたる参籠を行い、95日目に夢のお告げを受けたことが、浄土真宗開宗のきっかけとなりました。

また生け花発祥の地としても有名です。

山門をくぐります。

山門をくぐると、涼しげに揺れる柳が、目にまぶしいです。「六角柳」といい、嵯峨天皇がよい后が得られるよう祈った所、この柳の下で素敵な女性と出会えたことから「縁結びの柳」とされています。



すぐ正面が本堂です。地上からだと六角形の感じがいまいちつかめません。そこで、境内左手のいけばな資料館のビルにのぼって見下ろすと、ああ確かに六角形だなァと、わかります。


本堂右手の敷石の中央に、40センチほどの奇妙な形の石があります。真ん中に穴が空き、そこに水がたまり、お金が投げ込まれています。


「へそ石」です。昔はここが京都のほぼ中央であったことから、へそ石と呼ばれています。

池坊(いけのぼう)

六角堂の北に「聖徳太子沐浴の古跡」があります。


用明天皇の二年、聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めて、山城国愛宕(おたぎ)郡の杣山に入って行かれました。一日山歩きをした聖徳太子、ふう今日も疲れた、この場所で池にザバッとつかります。

沐浴を終えた聖徳太子が木の枝にかけた衣と御持仏をひっぱり下ろそうとすると、御持仏がパアッと光輝き、

「太子よ、ここは衆生に利益を与えるによい場所だから、御堂を建ててくれ」

「ははーっ」

こうして、この場所にお堂を建てたのが六角堂の始まりとされます。

聖徳太子の没後、隋から帰還した小野妹子が聖徳太子沐浴の池のほとりに僧坊を築き、朝な夕なに六角堂の本尊如意輪観音に花をささげました。それがいつしか、生け花として発展していき、現在では池坊(いけのぼう)として華道の家元となっています。


親鸞は承安3年(1173年)藤原氏支流の日野有範(ひのありのり)の子として京都に生まれます。幼い頃両親と死別。9歳の時仏門に入ることになり比叡山に登ります。


「よし、まじめに勉強して、立派な僧になるぞ」

若い親鸞は張り切りました。しかし当時の比叡山は堕落しきっており、政治権力と結びついて栄達を目指す者が多くありました。また強訴といって都に押し寄せ、無理難題を押し付けるなど、およそ仏教者というには、遠いありさまでした。

また親鸞自分自身、戒律も守れず、善行も行えず、煩悩に流されがちな自分を見出します。特に性欲の問題に、悩んだようです。

「どうして俺はこう、キレイな娘さんなんか想像すると、ムラムラが抑えらないんだろ。仏教者として向いてないのかなあ…」そんなことも考えたかもしれません。


29歳の時、比叡山を下り、六角堂で百日間の参籠をします。95日目に、夢の中に聖徳太子の化身である救世観音(ぐぜかんのん)があらわれ、告げます。

行者宿報設女犯
我成玉女身被犯
一生之間能荘厳
臨終引導生極楽

行者宿報(ぎょうじゃしゅくほう)にて設(たと)い女犯をすとも
我 玉女(ぎょくじょ)の身と成りて犯されん
一生之間 能(よ)く荘厳(しょうごん)して
臨終(りんじゅう)に引導(いんどう)して極楽に生せしむ

「たとえ修行者が前世の因縁によって女性と交わることがあっても、私が玉のような女性となって犯されよう。一生の間、その人を清らかに保ち、死ぬ時は極楽往生に導こう」

「はっ!」

これが「六角夢告(ろっかくむこく)」と呼ばれる出来事で、浄土真宗開宗の契機となりました。

六角堂の右手に、親鸞堂と親鸞聖人の像があります。

十六羅漢

六角堂右手の泉の組石には十六羅漢像があり、ひときわ目を引きます。羅漢とは仏法を説く偉い坊さんのことで、十六とは四方八方の二倍ですので、十六羅漢で、いたる所にいる羅漢さま、ということです。


羅漢さまの周りには、「邪鬼」がいます。仏法を信じず、居眠りをしたり、ひねくれている者です。ケッ、やってられねーよばかばかしいといという感じで、愛嬌がありますね。

十六羅漢の後ろに見えるのは六角堂御幸桜です。花山(かざん)天皇は藤原氏に騙されて帝位を追われますが、出家して花山法皇となり、西国の三十三所の観音霊場巡礼の旅に出られました。


花山法皇による西国三十三所観音霊場巡礼がはじまるにあたって、花山院前内大臣が詠んだ歌、

世をいのる春のはじめの法なれば君か御幸のあとはありけり

から、六角堂御幸桜と名付けられました。京都にいち早く春を告げる早咲きの桜です…と、だいたい案内板から抜粋して話しましたが、

「花山院前内大臣」という人物についても、この歌の出典も、いくら調べてもわかりませんでした。わかる方がいらっしゃったら教えてください。

ともかく京都の名所はこのように、行く先々で歌に出会えることが嬉しいです。

六角堂は京都駅からもすぐで気軽に行けますし、敷地内に、さまざまな歴史的なものがつまっています。歴史好きの方にはたまらない場所と思います。聖徳太子や親鸞聖人の昔に思いを馳せながら、ぶらぶら歩いてみるのはいかがでしょうか?

左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

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