大原野を歩く(藤原氏の氏神「大原野神社」/西山のお大師さま「正法寺」/西行法師出家の寺「勝持寺」)

本日は京都市西京区(にしきょうく)の大原野(おおはらの)を歩きます。

大原野は桓武天皇が平城京から長岡京に遷都するさいし、藤原氏の氏神、奈良春日大社を勧請した場所です。洛北の大原とならぶ憩いの場として、天皇や貴族たちが狩や花見をたのしみました。

その牧歌的な風景は古今集や新古今集に詠まれ、源氏物語や伊勢物語といった古典に登場します。現在も、山里の風情が漂います。

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大原野神社

阪急京都本線・東向日(ひがしむこう)下車。

阪急京都本線・東向日駅
阪急京都本線・東向日駅

駅前から阪急バス「南春日町行き」に乗り、約20分。南春日野町(みなみかすがちょう)下車。

大原野
大原野

見えてきました。


大原野神社の一の鳥居です。

大原野神社 一の鳥居
大原野神社 一の鳥居

大原野神社は延暦3年(784)、桓武天皇が長岡京に遷都した時、藤原氏出身の皇后のために、藤原氏の氏神である春日大社を勧請したことに始まります。


嘉祥3年(850)、左大臣藤原冬嗣の孫にあたる文徳天皇が社殿を造営。その頃から、藤原氏出身の后たちが大原野神社に参詣することは通例となっていきました。

大原野神社 ニの鳥居
大原野神社 ニの鳥居

応仁の乱により衰退しましたが、江戸時代に再興されました。

大原野神社 参道
大原野神社 参道

鯉沢池

参道右手に、奈良の猿沢池(さるさわのいけ)を模した、鯉沢池(こいさわのいけ)があります。

大原野神社 鯉沢池
大原野神社 鯉沢池

左大臣藤原冬嗣を祖父に持つ55代文徳天皇は、大原野神社の社殿を造営するとともに、奈良の猿沢池を模した鯉沢池を造営しました。

大原野神社 鯉沢池
大原野神社 鯉沢池

猿沢の池はいつも周囲に人通りが多く、若い人が多く、興福寺の五重塔が映り込んで、とても華やかですが、こちら鯉沢の池は、人影もまばらで、山里のわびさびた感じが出ています。

瀬和井(せがい)の清水

参道左手には、瀬和井の清水があります。

大原野神社 瀬和井の清水
大原野神社 瀬和井の清水

清和天皇の産湯を汲んだとも伝えられ、歌枕として数々の歌に詠まれています。

大原や せがいの水を 手にむすび 鳥は啼くとも 遊びてゆかん
大伴家持

大原野神社 瀬和井の清水
大原野神社 瀬和井の清水

ああ大原だなあ。せがいの水を手ですくい上げて、鳥は啼いているが、しばらくぶらぶらして行こう。

夜を寒み せがいの水は 氷るとも 庭燎(にわひ)は春の こゝちこそすれ
大江匡房

夜が寒いので、せがいの水は凍ってしまうが、篝火の火は春の心地がするなあ。

拝殿・本殿

拝殿に向います。

大原野神社 三の鳥居
大原野神社 三の鳥居

大原野神社 拝殿
大原野神社 拝殿

大原野神社は春日大社と同じく鹿を神の使いとします。拝殿前には狛犬ならぬ一対の狛鹿が鎮座しています。


かつては春日大社から贈られた鹿苑があり、実際に鹿を飼っていたそうです。

大原野神社 拝殿
大原野神社 拝殿

本殿は春日大社と同じく、四棟が横並びとなった春日造です。それぞれに御祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)が祀られています。

藤原氏の氏神ということで、フジバカマが、拝殿の脇に植えてありました。藤原氏だから、藤バカマです。

『源氏物語』にはその名も「藤袴」という一帖があります。藤原氏の娘である玉鬘に、光源氏の息子である夕霧はじめ、たくさんの求婚者達が言いよるという話です。その中で藤袴の花はヒロイン玉鬘をあらわす象徴的な花として扱われています。

古典に描かれた大原野神社

紫式部は中宮彰子のお供で大原野神社に参詣しています。また紫式部は父藤原為時について越前(福井県)に行った時、雪の日野山(ひのさん)を見て小塩山を思い出し、

ここにかく 日野の杉むら埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる
『紫式部集』

ここ越前の地で、こんなふうに、日野の杉林を埋める雪を見ていると、今日私は、小塩山の松を埋める雪と見間違えてしまう。

『源氏物語』「行幸(みゆき)」では、冷泉帝の大原野行幸の様子が描かれます。光源氏は物忌のため参加できませんでしたが、行幸の後、冷泉帝の歌に応えて、

小塩山 みゆきつもれる 松原に 今日ばかりなる 跡やなからむ
『源氏物語』「行幸」

小塩山の雪の降り積もる松原に、今日一日だけの行幸の跡は、もう残っていないでしょうね。

『伊勢物語』には清和天皇女御・藤原高子の大原野神社参詣の様子が描かれています。

その時、お供をした在原業平とおぼしき「おきな」が詠みました。

大原や 小塩の山も 今日こそは 神代のことも おもひいづらめ
『伊勢物語』76段

ああ大原よ。小塩山も今日は、かの天孫降臨の際に、ニニギノミコトを藤原氏の祖であるアメノコヤネノミコトが守護し奉った神代のことを思い出していることだろう。そのアメノコヤネノミコトの末裔たる御息所・藤原高子さまが、今日は参詣しているのだから。

正法寺

大原野神社正面を流れる社家川(しゃけがわ)にかかる橋を渡ると、そこが正法寺(しょうぼうじ)です。



正法寺
正法寺

奈良時代に鑑真和上の高弟・智威大徳が築いた道場が前身です。

平安時代初期に伝教大師最澄が大原寺(おおはらじ)という寺を創設。弘法大師空海によって真言宗の寺となりました。

正法寺
正法寺

応仁の乱で焼失しましたが、江戸時代初期に恵雲(えうん)律師・徴円(ちょうえん)律師によって再興。西山のお大師さまとして古くから親しまれています。

元禄時代には五代将軍綱吉の母・桂昌院が篤く帰依しました。

宝生苑

境内には東山連峰を借景とした枯山水庭園「宝生苑」があります。

正法寺 宝生苑
正法寺 宝生苑

配置されている石は象、獅子、蛙など動物に似ており、「鳥獣の石庭」として親しまれています。中でも「ペンギン」がいちばんわかりやすいです。

正法寺 宝生苑
正法寺 宝生苑

庭園のむこうに、音羽山(おとわやま)・高塚山(たかつかやま)・千頭岳(せんずだけ)・醍醐山(だいごやま)・岩間山(いわまやま)などの東山連峰がのぞまれ、その手前に稲荷山が黒々と鎮座しています。

背後の東山連峰とくらべると、アレッ稲荷山ってあんなに低いんだなと思いました。

稲荷山……何年か前、父が京都にあそびに来たとき、伏見稲荷につれていって、二人でふーふーいいながら頂上までのぼったことを思い出しました。


勝持寺

ふたたび大原野神社に戻り、境内西側の入り口から林の中の小道に入っていき、約8分で「花の寺」勝持寺にいたります。

勝持寺 仁王門
勝持寺 仁王門

勝持寺 仁王門
勝持寺 仁王門




勝持寺
勝持寺

勝持寺は白鳳8年(679)天武天皇の勅命により役行者が創設。延暦10年(791)桓武天皇の勅命で最澄が伽藍を整え、再建しました。その時に御本尊の薬師瑠璃光如来像も安置されました。

応仁の乱で伽藍のほとんどが焼失しましたが、乱の後、再建されました。

勝持寺
勝持寺

西行法師が出家した寺と伝えられ、境内には西行が植えたという西行桜はじめ、約100本の桜が植えられています。

花見んと むれつつ人の くるのみぞ あたらさくらの とがにはありける
西行法師

花を見ようとして群をなして人々が来ることだけが、
惜しむべき桜の罪ではある。

私が勝持寺で好きなのは石垣です。門前の石垣も、境内の石垣も、桜の散る季節には石垣の上にうっすら桜の花びらが散りかかって、まるで雪が降り積もっているようで、たまらない風情です。

この日、境内はひっそりしてました。

まだ紅葉には早かったですが、赤くなった葉桜がひらひらと舞い散り、ヒヨドリなど鳥の声がひびいていました。

境内あちこちにある石垣の上に、木漏れ日がふりそそいで、はっきりした陰影を描いていて、いいかんじでした。

瑠璃光殿・阿弥陀堂

御本尊の薬師如来像や金剛力士像が安置された瑠璃光殿、

勝持寺 瑠璃光殿
勝持寺 瑠璃光殿

その隣の阿弥陀堂。

勝持寺 阿弥陀堂
勝持寺 阿弥陀堂

阿弥陀堂の前は踊り場状になっており、晩春には一面に桜が散り敷きます。


西行桜

石段を下りて正面に西行桜。

勝持寺 西行桜
勝持寺 西行桜

西行法師が自ら植えたと伝えられる八重桜です。現在三代目です。

晩春に、石垣の石ひとつひとつに桜の花が散りかかるのは、見事です。



瀬和井の泉・冴野の沼・鏡石

そのほか境内には、歌枕として知られる冴野(さえの)の沼、瀬和井(せがい)の泉。

勝持寺 冴野の沼
勝持寺 冴野の沼

小塩山 松風寒し 大原や 冴野の沼の さえまさるらん

勝持寺 瀬和井の泉
勝持寺 瀬和井の泉

西行法師が出家した時、その姿を写したと伝えられる鏡石などがあります。

勝持寺 鏡石
勝持寺 鏡石

昔この辺りを歩いていた時に、一つ忘れられない記憶があります。長岡京から山崎にかけて、ここら一帯は、竹の名産地で、あちこちに竹林があります。あるとき私が歩いていると、竹林の中から、とんとんとんとん、音がきこえてきました。

なんだと思って、みたら、竹の切り株の上にスズメがとまって、餌をついばんでいている音でした。とんとんとん、とんとんとん……あの優しい、かわいらしい音は、わすれられないです。ああ洛西は、竹の都だなあと、しみじみ感じ入りました。

本日は大原野を歩きました。春日大社を分霊した大原野(おおはらの)神社、「西山のお大師さま」として知られる正法寺(しょうぼうじ)。西行法師が出家した勝持寺(しょうじじ)。のんびりした山里の風情に癒やされます。

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