小野小町ゆかりの随心院を訪ねる

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こんにちは。左大臣光永です。すっかり正月気分も抜けた九日、
いかがお過ごしだったでしょうか?

私は今朝、どんとん焼きに行ってきました。近所の小学校の校庭で、
やぐらを積み上げて、燃やしました。小学校の野球部数人が、
竹の先にワラをつないだものの先に火をつけて、点火しました。

「くれぐれも安全には注意するように」「オス」
「準備してくれた実行委員会の人達に感謝しましょう」「オス」

とか返事してたのが、かわいかったです。

さて本日は、京都・山科に、小野小町ゆかりの随心院を訪ねます。発売中の商品「百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説」に関連したお話です。
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地下鉄東西線小野駅で降り東に歩き、旧奈良街道で右に折れ、しばらく歩くと、見えてきました。随心院の総門です。


随身院は六歌仙の一人・小野小町の邸宅跡と伝えられる、真言宗の門跡寺院です。

毎年3月には、小野小町の伝説にちなんで子供たちが薄紅色の衣装を着て踊る「はねず祭り」が行われます。「はねず」とは薄紅色のことで、随心院に咲く梅の花の色にちなみます。

小野小町の歌碑

総門からまっすぐ進み、小さな通用門をくぐると、建物の拝観入り口があります。その前に、小野小町の歌碑があります。




花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

美しかった花の色も空しく色あせてしまったのですね。長雨が降るのを物思いにふけって眺めているうちに、私の容貌もすっかり衰えてしまいました。

おなじみ、百人一首の小野小町の歌です。年を取るという意味の「ふる」と雨が降るという意味の「ふる」、ぼんやり物思いに沈むという意味の「ながめる」と、長い雨という意味の「ながめ」が、掛詞になっているのがポイントですが、技巧を抜きにしても優雅で美しい響きは印象に強く残る歌です。

小野小町は平安時代仁明天皇の頃、宮廷に仕えていたと言われる女流歌人です。

六歌仙・三十六歌仙の一人で出羽国の郡司の女、小野篁の孫とも子とも伝えられますが、実名も生没年もわかっていません。

クレオパトラ・楊貴妃とならび世界三代美女の一人に数えられますが、楊貴妃とクレオパトラが確かな歴史上の実在した人物であり、その最期のさまもハッキリ伝わっているのに対し、小野小町はすべてが謎に包まれています。

はっきりしていることは大変な美人だったことと、歌が得意だったことのみです。

『古今集』には小野小町が在原業平、文屋康秀、僧正遍正ら取り交わした贈答歌18首が残っています。

「小町」の名は姉が小野町(おののまち)で妹が小野小町といったという説や、固有名詞ではなく小野氏出身の采女(うねめ 天皇や皇后のおそば仕える女官)を指す総称で、小町は複数いたなど、諸説あります。

秋田で生まれたということは定説になっていますが、実際はよくわかりません。なにしろ私の実家の熊本にも小野小町に関係した公園があります。

勅撰集には『古今集』18首、『後撰集』4首以下全60数首が採られていますがすべて小野小町作というわけではなく、他人のものや伝説的なものも多いです。

歌碑の横には左に花梨の木、右に蓮弁願立ての壷があるのが印象的でした。蓮弁願立てとは、蓮の花弁の形をした紙に願い事を書いて、水瓶に浮かべ、紙が溶けることで願いがかなう、というものです。




私も「天孫降臨からアベノミクスまで 歴史を語る 左大臣光永」と書いてきました。

正面入り口から書院に入ります。書院造りの大小の建物の間が回廊で結ばれ、所々に見える坪庭がアクセントを添えます。狩野派の襖絵が見事です。



能の間という長細い部屋の奥にハデハデしい襖があり、襖のむこうにあるのは、小野小町自身が自分に送られた男たちの恋文を下張りにして作ったという文張地蔵尊像(ふみばりじぞうそんぞう)と、晩年の落ちぶれた小町の姿を写した卒塔婆小町坐像(そとばこまちざぞう)。



どちらも怨念がこもってるようで、ちょっと怖い感じです。

深草少将ゆかりの榧(かや)の大木

裏山に向かう途中の駐車場の脇に、創建者・仁海僧正の供養塔があり、その奥に、深草少将ゆかりの榧の大木があります。



小野小町に思いを寄せ、熱烈なラブレターを送ってくる深草少将に、小野小町は返事を返しました。

「そんなに私が好きなら100日通い続けてください」
「100日!わかりました。通いましょう」

深草少将は深草から小町のすむ小野の里まで毎晩5キロの道のりを歩きます。

小野小町は深草少将が毎晩届ける榧(かや)の実で、通った数を数えていました。

「ひい、ふう、みい…。今夜がいよいよ百夜目。
来るかしらあの方は」

しかし、その夜は吹雪でした。深草少将の体に、容赦なく雪が降りかかります。凍えるような寒さです。

「いやいや、寒さなどに負けられぬ。
この道をまっすぐ行けば、ようやく小町に会えるのだ。
なんと長かったことか」

雪で視界はくもり、体の芯まで凍てつくようです。いや、ここが頑張り所だ。勝負のしどころだと、少将は歩いていきます。

ザクザクと雪を踏んで歩いていくうちに、体の感覚がなくなってきます。

(小町と契るのだ。小町と契るのだ…)

ザクザク、

ザクザク…

ううう、ぶるぶる

どさっ…

とうとう行き倒れになってしまいました。

小町とは契れずじまいです。

小町はさすがにヒドイことしちゃったわと後悔したか、根性ないわねフフンとせせら笑ったかは定かでは無いですが、小町は後に供養のため榧の実を小野の里に撒いたといいます。

深草少将の百夜(ももよ)通い。このエピソードにちなむ、随心院裏手の榧(かや)の大木。深草少将の無念に思いを馳せながら、しみじみと、眺めたい所です。

本堂裏手の林の中には、深草少将はじめ、多くの貴公子たちから小野小町に送られた恋文を埋めたという文塚があります。



ここにも男たちの怨念が、こもって感じられますね。

化粧(けわい)の井戸

そのほか、境内には小野小町が朝夕この水で化粧をしたという化粧の井戸があります。


水に顔をうつして、はあ…イヤだわ。また小じわが増えてる、なんて言ってたかもしれませんね。

井戸の中に降りて、もう一度、小野小町の歌をつぶやきましょう。

花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

次回は、小野篁ゆかりの六道珍皇寺と、六波羅蜜寺を訪ねます。お楽しみに。

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