哲学の道を歩く(一)

こんにちは。左大臣光永です。週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか?

本日は、京都・哲学の道を歩きます。

哲学の道は北は銀閣寺橋から南は若王子(にゃくおうじ)前の若王子橋まで、琵琶湖疏水の分線に沿って約2キロにわたって走る小道です。京都大学の哲学者西田幾多郎(にしだ きたろう)先生が思索にふけりながら、また学生たちと語らいながら歩いたことから哲学の道と呼ばれます。

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桜の名所としても知られ、日本画家橋本関雪(はしもと かんせつ)の夫人が寄贈した関雪桜が春には花のトンネルを作ります。初夏には東山の緑と夜飛び交うゲンジボタル、秋には紅葉の錦が水面にうつりこみ、散策する者の目を楽しませてくれます。日本の道百選にも選ばれています。

早朝でも、夜でも歩くことができるので、京都に来たけどまだ早すぎて(あるいは遅すぎて)、どこの観光地も開いてない、という時にもおすすめです。

白沙村荘橋本関雪記念館

バス亭銀閣寺前で降ります。むこうに東山の緑がせまり、気分高まります。

バス邸のすぐそばに、白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪(はしもとかんせつ)記念館。

大正~昭和初期に活躍した日本画家橋本関雪のアトリエ兼住居「白沙村荘」を公開しています。

橋本関雪(1883-1948)。神戸に生まれ、東京画壇に属した後、京都に移り、大正期の京都画壇の中心となって活躍しました。

後には日本画家として大成する橋本関雪ですが、京都に出てきた当初は貧乏で、ロクに食べられませんでした。その時代、橋本氏を支えてくれたのは周囲の人達の温かい援助でした。

大正11年(1922年)日本画家として大成した橋本関雪氏は京都市に恩を返そうと、よね夫人の提案で、360本の桜の苗木を京都市に寄贈しました。これが「関雪桜」のはじまりです。今日も「哲学の道」を訪れる人の目を楽しませてくれています。

哲学の道 入り口

今出川通りを少し東に歩くと銀閣寺橋です。このまま今出川通りを東に歩き続けると銀閣寺です。今回はここから右に折れ、哲学の道を歩きます。

さらさらと流れる疎水の分流に沿って、歩いていきます。

京都の川はほとんど北から南に向けて流れていますが、ここの琵琶湖疏水の分流は南から北に向けて流れているのがポイントです。

法然院

しばらく進むと左に法然院に進む道があらわれます。

苔むした石垣。ひんやりした林。風情があります。

江戸時代中期の『都名所図会(みやこめいしょずえ)』に、東山鹿ケ谷一帯の様子が記されています。

この地は松風蕭然としてつねに鉦(かね)の音たえず。六時礼賛の声は幽谷に谺(こだま)し、寂寥(せきりょう)として峰の月ほがらかなり。廬山の白蓮社ともたとへられて、清浄無塵の仏界なり

江戸中期でさえこの静けさですから、さらに600年をさかのぼる法然の時代には、鹿谷の自然はさらに鬱蒼とした深いものだったことでしょう。見えてきました。法然院の山門です。

茅葺数奇屋造りの山門の屋根はオニギリを思わせます。明治20年に焼失し建て替えられましたが、それも昭和初期に倒壊し、ふたたび原型通りに復元されたものです。

法然院は浄土宗系単立寺院。鎌倉時代、法然上人が弟子の住蓮・安楽とともに唐の善導大師の『往生礼讃』に曲をつけて、一日に六度唱える、「六時礼賛(ろくじらいさん)」を行った庵です。

その後衰退しますが、延宝8年(1680年)知恩院の第38世萬無心阿(ばんぶしんあ)上人が弟子の忍澂(にんちょう)とともに念仏道場として中興しました。

山門をくぐると左右に不思議な物体が見えます。何ですかこれは。一対の盛り砂が、白い巨大なチョコレートのように、そこにあります。

これを「白沙壇(びゃくさだん)」いい、水をあらわすということです。両側の「白沙壇」の間を通ることによって、心と体を清めるのです。季節によっては「白沙壇」の上に紅葉などの絵が描かれているということで、遊び心がありますね。

境内はうっそうと緑ゆたかに苔むしており、静謐の空気があります。

名水として知られる「善気水(ぜんきすい)」が湧き出しています。

本堂はごく素朴な感じの建物です。

墓地には作家の谷崎潤一郎や経済学者の河上肇(かわかみはじめ)など著名人の墓があります。

安楽寺

法然院を出て、住宅街の中を進んでいくと、次に見えるのが安楽寺(あんらくじ)です。

境内は、春と秋のみ一般公開されています。六月、東山の緑を借景にして、したたるような緑に満ちていました。

正式には住蓮山安楽寺。別名「松虫鈴虫寺」。悲しい物語の伝わる寺です。

松虫姫鈴虫姫の物語

鎌倉時代初期、法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人がこの地に「鹿谷草庵(ししがたにそうあん)」を築きいたのが始まりです。住蓮・安楽は、恵心僧都源信(えしんそうず げんしん)作と伝わる阿弥陀如来坐像を本尊として安置し、法然上人の教えを広めていました。

また住蓮・安楽は唐の善導大師(ぜんどうだいし)の『往生礼讃(おうじょうらいさん)』に曲をつけて、一日に六度唱える、六時礼賛声明(ろくじらいさんしょうみょう)を完成しました。

住蓮と安楽の唱える六時礼賛はとても美しく、多くの人の心をとらえました。まあ住蓮さま、うっとりしちゃうわ。あら私は安楽さま派よと、特に女性のファンが次々と感化され、仏の弟子になっていきました。

その中に、当時の最高権力者・後鳥羽上皇の寵愛していた17歳の松虫姫、19歳の鈴虫姫の姉妹の姿がありました。二人は今出川左大臣の娘で、容姿端麗で学問にもすぐれていたことから、後鳥羽上皇のあつい寵愛を受けていました。

しかし上皇のあまりの寵愛ぶりに、周囲から妬みを受けることも多くありました。

建永元年(1206)、鈴虫姫・松虫姫は清水寺で法然上人の説法をききます。そこで、人が救われるには念仏…南無阿弥陀仏と唱えるほかは無いと、見出しました。

御所に帰ってからも法然上人の説法が忘れられず、出家したいとの気持ちは高まっていきました。

建永元年(1206年)12月、後鳥羽上皇が熊野詣で都を留守にしているスキに、松虫姫と鈴虫姫はひそかに京都小御所を抜け出します。

住蓮「どうか私たちを、御仏の弟子にしてくださいまし」「何をおっしゃいますか。あなた方は上皇様のご寵愛あつきお方ではないですか」「いいえ、そんな俗世のしがらみなど、どうでもいいのです。すぐ髪を下ろさせてくださいまし」

とうとう松虫姫と鈴虫姫は髪を下ろし、出家を遂げました。

「なんということだ!わしの寵愛する松虫と鈴虫を、たぶらかしおって!!断じて許さぬ!!」

後鳥羽上皇は激怒し、法然の専修念仏教団への弾圧が始まりました。住蓮と安楽は罪に問われ、住蓮は近江国馬渕(現 近江八幡市)で安楽は六条河原(現 東本願寺近く)で斬首されました。

極楽に生まれむことのうれしさに 身をば仏にまかすなりけり 住蓮

今はただ伝ふ言の葉もなかりけり 南無阿弥陀仏のみ名のほかには 安楽

さらに後鳥羽上皇は監督不足であるとして、法然を四国に、親鸞を越後に島流しにしました。いわゆる建永の法難です。

松虫姫と鈴虫姫は瀬戸内海の生口島(いくちじま 現・尾道市瀬戸田町)の光明坊で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳で鈴虫姫は45歳で往生したと伝えられます。

…以上の物語は『安楽寺松虫姫鈴虫姫和讃』に書かれています。室町時代から江戸時代にかけての作品です。「和讃」とは仏の教えをわかりやすい言葉であらわしたものです。

帰命頂礼(きみょうちょうらい) 都にて
東山なる 鹿ヶ谷(ししがたに)
仰いで松虫 鈴虫の
あらまし由来を 尋ぬれば
圓光大師の 御弟子にて
住蓮上人 安楽は
柴の庵の 明け暮れに
心を澄ます 谷水の
流れを人の 聞き伝え
人里まれなる 鹿ヶ谷
なお山深く 分け入りて
柴の庵を 結びつつ
恵心僧都(えしんそうず)の 御作(みさく)なる
座像の弥陀を 安置して
不断念仏 なしたまう

から始まる112句からなる和讃です。

しかし建永の法難のことを書いた歴史書や日記(『愚管抄』『明月記』『三長記』など)に松虫姫・鈴虫姫の名は出てきません。

後鳥羽上皇の女官が出家した、という記録はあるので、モデルとなった女性はいたのでしょう。おそらく史書にある短い記事をもとに話を膨らませたものと思われます。

住蓮・安楽亡き後「鹿谷草庵」は荒廃しますが、建永の法難から4年後の建暦元年(1211年)法然上人が罪許されて帰京し、二人の菩提を弔うために寺院を建て「住蓮山安楽寺」と名付けました。

現在の安楽寺は延宝8年(1680年)に再建されたものです。境内には住蓮・安楽の墓、松虫・鈴虫の供養塔があります。

庭園

本堂隣りの建物に付属して庭園があり、刈り込まれたサツキが見事です。

鹿ヶ谷カボチャ供養

毎年7月25日、安楽寺では「かぼちゃ供養」が行われます。参拝者に鹿ヶ谷カボチャを煮炊きしてふるまう行事です。鹿ヶ谷カボチャとはひょうたん型をした京都の伝統野菜で、中風にきくと言われています。

文化年間(1804-17)粟田村(現 粟田口あたり)に住んでいた玉屋藤四郎が津軽から持ち帰ったカボチャの種子を鹿ヶ谷村の庄兵衛と又兵衛の二人に分けたのが始まりとされます。

しかしなぜひょうたん型になったのかはよくわかっていません。

次回「哲学の道を歩く(ニ)」につづきます。

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第一回は「菅原道真」です。