築地・月島を歩く

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こんにちは。左大臣光永です。師走も半ば、いよいよあわただしい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?

私は今週金曜日、東京多摩永山公民館で講演します。「足利将軍家の興亡」第三回、「花の御所」。三代将軍足利義満について、同い年で何かとライバル的な関係にあった、後円融天皇との関係を軸にお話しします。東京近郊の方はぜひ聴きにいらしてください。
https://www.tccweb.jp/tccweb2_024.htm

そして、先日再発売しました「百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説CD-ROM」。
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すでに多くのお買い上げをいただいております。ありがとうございます!特典の講演録音「平安京 名士・名所案内」は2017年1月10日お申込みまでです。お申込みはお早めにどうぞ!

さて本日「左大臣の古典・歴史の名場面 」第727回目は、「築地・月島を歩く」です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

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地下鉄日比谷線築地駅を下りて、すぐ目の前が築地本願寺です。銀杏がすっかり黄葉して、目に優しいです。



築地本願寺

築地本願寺は浄土真宗西本願寺の別院で、元和3年(1617)浅草横山町に建立され、「江戸浅草御堂」と呼ばれていましたが、明暦3年(1657)明暦の大火によって焼失。

その後、本願寺を再建するための場所として幕府から指定されたのは、八丁堀の海の中でした。コマッチャッタでしょうね。

そこで佃島の浄土真宗門徒たちが中心となり、海を埋め立てて土地を築き、延宝7年(1679)再興されたのが、この築地本願寺です。

現在、このようなインド風の建築様式がすごく特徴的に目に飛び込んできます。

もともとは木造の建物でした。それが大正12年(1923)関東大震災で倒壊し、昭和9年(1934)現在の鉄筋コンクリート製のインド風の建物が建てられました。建築家伊東忠太(いとうちゅうた)によるものです。

銅板葺きの巨大な丸屋根が、ひときわ印象に残ります。この形、どっかで見たことがと思ったら、有名なアメリカで目撃された宇宙人「フラットウッズ・モンスター」の頭部にソックリです!

ドンとそびえる本堂と、本堂を中心に左右対称に伸びる翼部。その、左右それぞれの翼部の上にそびえる楼台が、ドラマチックなシルエットを作り出していますね。



中に入ります。

なんかほんと、寺というよりも宮殿って感じがする…

あれっ、教会のステンドグラスみたいなものもありますね。


ご本尊の阿弥陀如来像の前で礼拝し、席についてしばし瞑想にふけりました。


ふっと振り返ると、パイプオルガンがあるじゃないですか。


これで仏教音楽を奏でるのか…荘厳な感じでしょう。

定期的にいろんな学習講座をやってるようで、チラシがあちこちに置いてありました。お値段も無料から一講座1000円くらい、内容も仏教関係だけでなく、仏教とは関係なさそうな講座もあり、バラエティに富んでいます。今度何か参加してみようと思います。

築地本願寺から新大橋通りを少し西に行って交差点の対面にあるのが、築地場外市場(つきじじょうがいしじょう)です。


いやあ楽しい。縁日の感じがありますね。


築地市場で仕入れた魚や肉、野菜などを小売りしてます。魚介類や飲食店、調理器具などの店が軒をつらねています。

カレイ、サワラ、銀鱈、金目鯛…


美味しそうです。客引きがどこも熱心です。何々食べていってくださーい。何々食べて行ってくださーい。どうぞ、美味しいですよーと、呼びかけるんで、おおっと立ち止まって試食しては、買ってしまいますね。これ、何も買わずに通り抜けるということが難しいですよ。

寿司屋も、まぐろ丼屋も多く…一通り突っ切って歩いたら、すっかり腹いっぱいになってるって感じです。

私は「焼ばら」を買いました。海海苔を板状にする前のバラバラの状態のやつで、味噌汁なんかに溶かして飲むと、美味しいやつ。


続いて寿司処「八千代」に入りました。


カウンター席にはタトゥー入れた陽気そうな外国人の一団が、ワイワイやってました。「This WASABI! That's Wasabi!」「アリガトー、very good、チョーオイシイ」そんな声が響いて、にぎやかでした。

波除稲荷神社

築地場外市場の外れに、波除稲荷(なみよけいなり)神社があります。遠くから大きな銀杏の木がすっかり黄葉しているのが見えてきて、それだとわかります。



ガランガランガランガランと、元気よく鈴を鳴らす音が境内から響いてきます。

災難を除き、波を乗り切る。波除稲荷神社。力強いですね。

万治年間(1658-1661)、築地一帯の埋め立て工事が行われていましたが、なかなか、うまくいきませんでした。波に流されてしまって、工事は難航していました。その時、波の間にお稲荷さまが漂っていた。アッこれを祀ろうということで祀ったところ、波風は鎮まり、無事、埋め立てができた。ここから波除稲荷神社と名付けられたということです。

以後、航海の安全や災難除け、厄除けのなど神として人々の信仰を集めています。

「吉野家」一号店 開店の地

また築地は牛丼の「吉野家」一号店 開店の地でもあるということで、境内に「吉野家」の碑が立っています。


もとは日本橋魚河岸で明治25年に創業。屋号は創業者松田栄一の故郷・大阪吉野町から。その後、関東大震災により大正12年(1923)、魚河岸とともに、ここ築地の地に移転。

東京大空襲で焼失するも、戦後、屋台で営業を再開。昭和34年、築地一号店を開店しました。

早い、安い、うまいの吉野屋は、こんな激動の時代を生きてきたんですね!

波除稲荷神社を後に、勝鬨橋を渡ります。


昭和15年(1940)完成。元は跳ね橋でした。橋がバカッと二つに割れてたんですね。しかしあまりに交通量が多くなったんで、昭和45年(1970)以降、開かずの橋となります。

時々、隅田川を海上バスが通るのが見られ、いい気分です。元が跳ね橋だったせいでしょうか。トラックとか通ると思いっきり揺れるんで、怖いです。


現在も、アーチの開閉部分には、かつて跳ね橋時代に、人の通行を規制した信号が残っています。


もんじゃストリート

勝鬨橋をわたって最初の信号で左に折れ、西仲通りを歩いていきます。途中、西仲橋からは屋形船がたくさん停泊しているのが見えて、いい感じです。



ちょっと歩くと月島西仲通り四番街の入り口です。


もんじゃ焼き発祥の地で、もんじゃストリートと言われます。1番街から4番街まで500メートルにわたって続く通りに70軒の店がひしめきます。


こちらは4番街ですので、これから順に1番街の方向に向けて歩いていきます。


月島温泉・月島開運観音堂

商店街の路地裏に、月島温泉と、月島開運観音堂があります。


信濃善光寺の別院、だそうです。商店街の中にこういうのがパッと出てくるのは味わいですね。京都の新京極通りとかそんな感じじゃないですか。温泉に入った後に観音さまを拝むというのもいい感じです。

もんじゃ焼きの店、増えてきました。いよいよ本格的に、もんじゃ焼きの世界に踏み込んでいく感があります。

路地がいいですね路地が。ほんとこの商店街よりも、左右に見える路地のほうに味わいがありますよ。時々寄り道して路地に入りたくなります。



いいなァこういう所住んでるのは楽しそうだなァと。家出てちょっと歩くと商店街があって賑わってる、そのワクワク感。ここでの生活を思い浮かべて、楽しくなります。

4番街、3番街、2番街と経て、ついに1番街まで来ました。2番街が一番賑わってた感じかな。島根の地酒の店。李白おっ…

今もう腹のキャパシティ的に入らないですが、今度あらためて飲みに来ようと思いました。

住吉神社

もんじゃストリートを突っ切ったらもうだいぶ暗くなっていました。さらに首都高の下をくぐって、佃公園を突っ切って行くと、正面に佃小橋(つくだこばし)の赤い欄干が見えてきます。わたります。


銭湯の「日の出湯」、釣り船「折本」の事務所?でしょうか。などのある中を進んでいくと、向こうに、緑の銅葺き屋根が見えてきました。



住吉神社です。

江戸時代初期に摂津国西成郡(大阪市佃村)の漁民が大阪の田蓑(たみの)神社から分霊したのが始まりで、海上安全・渡航安全の神として、海運業者から信仰を集めました。


ソコツツノオノミコト・ナカツツノオノミコト・ウワツツノオノミコトの住吉三神と、オキナガタラシヒメノミコト(神功皇后)、そして徳川家康公を祀ります。

鳥がキィキィと甲高く鳴きしきって、いい感じでした。

住吉神社のそばには佃島渡船場跡があります。いわゆる佃の渡です。


江戸時代初期、徳川家康が摂津国佃村(大阪市西淀川区佃)の漁師たちをこの地に招き、海の中の土地を埋め立てさせて、島を作らせました。それがこの佃島です。そして対岸の船松町(ふなまつちょう。現在の佃大橋西詰付近)との間を渡すために佃の渡が作られました。

明治時代には一人五厘の賃金だったために「五厘の渡」と言われました。その後、東京市の管理となり佃の渡は客も増え、賑わっていきますが、昭和39年(1964)、東京オリンピックにそなえ佃大橋が架橋されると、佃の渡は廃業となりました。

佃島渡船場跡の隣には劇作家北條秀司の句碑があります。


雪降れば佃は古き江戸の島 

佃煮の本場ですから、老舗の佃煮屋さんが多いです。



次回は明治神宮に参拝します。お楽しみに。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

次の旅「向島を歩く

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