上野東照宮を歩く

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こんにちは。左大臣光永です。本日で上半期も終了ですね。
実り多い半年間だったでしょうか?

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さて本日は「上野東照宮を歩く」です。

上野東照宮は、上野公園内、上野動物園の隣にあります。
上野公園散策中に、なんとなく立ち寄ったことがある、
という方もあるのではないでしょうか?

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でっぷりした印象的な大鳥居をくぐり、



右手に五重塔を見ながら、


石灯籠の並ぶ参道をゆったり歩いていくと、境内に続く門が見えてきます。


上野東照宮 縁起

元和二年(1616年)二月、徳川家康は駿府城にて病の床にありました。

「…わしはもうダメだ…」
「そんな、弱気をおっしゃいますな!」
「しっかりなさってください!」

見舞いに訪れた藤堂高虎と天海僧正は、衰弱しきった大御所・徳川家康の姿を目にします。

「自分の命は、自分が一番わかるのだ。
わしはここまでじゃ。どうか、藤堂殿、天海殿、
我らが魂の鎮まる場所を作ってほしい」

この年、家康は息を引き取りました。

11年後の寛永四年(1627年)藤堂高虎は、亡き家康公の遺言にしたがい、藤堂家の屋敷のあった上野の森に祠を立てました。

そして慶安四年(1651年)三代将軍家光が、祠を大規模に作り替えました。これが、上野東照宮です。以後、何度か修復されるも、当初の姿をほぼそのまま、現在に伝えています。

では、境内に足を踏み入れましょう。


すぐに目に飛び込んでくるのは、左右に並ぶ銅灯籠です。ぜんぶで50基あり、諸国の大名からこの東照宮に寄進されたものです。灯籠の竿の部分には寄進した大名の名と官職名、奉納年月日などが記されています。



「東叡山東照大権現 伊賀少将藤堂朝臣 高虎」などの文字がクッキリと読めます。わりと素朴な、ペン習字みたいな字体で、親しみをおぼえます。



広島・長崎の火

さらに境内に進むと、右手に「広島・長崎の火」です。


1945年8月6日、9日。広島に、ついで長崎に人類最初の原子爆弾が投下され、数十万人の命が失われました。

福岡県星野村の山本達雄さんは、広島の叔父の家に燃えていた原爆の火をひそかに故郷に持ち帰り、燃やし続けました。はじめは恨みの火として、そして長い年月の間に、それは核兵器根絶と平和を祈るシンボルとなっていきました。星野村の原爆の火は、今日も村人に守られ燃え続けているということです。

1988年、3000万人の署名とともに星野村の原爆の火は長崎の原爆の火とあわせて、ニューヨークの第三回国連軍縮特別総会に届けられました。

その後、星野村の原爆の火と長崎の原爆の火をあわせて上野東照宮境内にともすことが提案され、被爆四十五周年の八月六日に広島の火が、八月九日に長崎の火が、モニュメントにともされ、現在に至るまで燃え続けているということです。

モニュメントの左右に千羽鶴がずらっと並び下がり、中央の鳩の形の中に丸いガラスがはめこまれ、その中でメラメラと、火がゆれていました。


境内を奥に進みます。つきあたりに見えるのが唐門(からもん)です。キンピカピンの門の左右には、左甚五郎作・昇り龍・降り龍の彫刻があります。



上を向いているのが昇り龍、下を向いているのが降り龍。ではありません。逆です。立派な人物は頭を下げるということから、下を向いてるほうが昇り龍、上を向いているほうが降り龍。ニヤリとさせられますね。旅先でこういうイキなエピソードを仕入れた時は、私は本当にうれしくて、ニヤリニヤリが止まらないです。

例によって左甚五郎につきもものの伝説があります。この龍が夜になると抜け出して不忍池で泳ぐということです!大津の三井寺の龍、日光東照宮の眠り猫、松島瑞巌寺の「葡萄に木鼠」と並び、見ておきたい彫刻です。

透塀(すきべい)

今度は唐門左手の小屋で入場料を払い、有料エリアに踏み入ります。案内版にそって進んでいくと、「入口」の文字が見え、



透塀(すきべい)とよばれる塀で囲まれた本殿のエリアに入ることができます。この、透塀が見事です。



スキマだらけで向こうが透けて見えるので透塀です。塀の上半分には野山の生き物と植物、下半分には海や川の生き物が彫刻され、中には龍など想像上の生き物も多くあります。社殿の東西南北を囲み、ぜんぶで200枚以上あります。

造営当初は極彩色だったと考えられますが、その後の修理で漆塗りされていました。それが、平成21年から始まった改修工事で、当時の彫刻や絵を参考に、極彩色に再現されたものです。

ほんとうにさまざまな鳥や獣がおり、特にネズミなどの小動物がかわいいです。見ていて飽きません。むしろ透塀だけを見て一日ぼさーーとしててもいたい気持ちに駆られます。

しかし、閉まる時間も迫っていたので、名残を惜しみつつ通り過ぎました。

社殿はどこから見ても、キンピカピンです。いたる所に金箔が押してあります。



拝殿と本殿の間を幣殿(石の間)とよばれる一段低い建物がむすぶ、権現造りです。つい先日、静岡の久能山東照宮にも行ってきましたが、こちらも権現造りですので、景色が重なり合う感じがしました。


残念ながら社殿内部は公開されておらず、半蔀がぴっちり閉じていました。

諫鼓鳥(かんこどり)

さて、社殿正面で後ろを振り返ります。すると、さきほど見た唐門の裏側が見えます。裏側にも左甚五郎の昇り龍と降り龍。そして、中国の「諫鼓鳥(かんこどり)」の故事に基づき、鶏と太鼓の透かし彫があります。


「諫鼓鳥(かんこどり)」の故事とは、昔、中国にとても徳の高い皇帝がいました。

「余は皇帝であるが、皇帝でも間違いは犯す。
余の政治が悪い時は、遠慮なく指摘してほしい。
朝廷の門前に太鼓を置いておくから、
余の政治が悪い時は、だれでも太鼓を叩いてくれ」

しかし政治がいいので太鼓はサッパリ叩かれることがなく、ついには鶏が住み着くようになったという話です。この「諫鼓鳥」の故事に基づく鶏と太鼓の透かし彫が唐門の両側にあります。天下泰平の願いがこめられているのです。


上野東照宮。上野恩賜公園内の上野動物園のすぐ隣にあります。上野公園散策の一環として、ふらりと立ち寄ってみるのはいかがでしょうか。「次は日光にも行くぞ!」と、気分を高めてくれます。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

次の旅「愛宕神社に登る

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