京都・奈良・滋賀の松尾芭蕉

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じょじょに桜の花も開くこの時期。
春風にさそわれて旅に出たくなるという方もあることでしょう。

美味しいものを食べて、温泉に入って、
花見をして…

春の旅はほんとうにワクワクしますよね!

さて、美味しい食事や温泉もいいんですが、
訪れる場所についての歴史的背景・その場所が舞台となった古典作品などを
知っておけば、ほんの少しでもかじっておくだけでも、
いっそう旅の味わいが増すはずです。

▼音声が再生されます▼

https://roudokus.com/mp3/BashoInfo.mp3

「ああ…ここがあの」と、旅のワクワク感が、
大いに増すはずです。

特に、歴史の古い場所。

京都・奈良・滋賀を歩くときには、
そういった古典や歴史の知識を、ざっとでも持っておくと、
いっそう旅の味わいが増します。

単に美味しいものを食べて温泉に入るだけでは、
もったいないです。

そこで松尾芭蕉です。

松尾芭蕉は、京都・奈良・滋賀の地をとことん愛し、
歩きに歩き、さまざまな場所に足跡を残しています。

日本全国に芭蕉の句碑は2000基あまり立っていますが、
特に京都・奈良・滋賀を歩くとき、
至る所に芭蕉の足跡が残っていることに、驚かされます。

京は九万九千くんじゅの花見哉

京都に貴賤を問わず、身分の高い人も身分の低い人もわっと集まって、花見が各地で盛り上がっているさまを詠んだ句です。


春先。丸山公園の夜桜を見る時に、または高瀬川のほとりを酒飲みながらぶらぶら歩く時、つぶやいてください。



京は九万九千くんじゅの花見哉

芭蕉が二十代で、北村季吟のもとで貞門派の俳諧を学んでいた時代の句です。後世「蕉風」と呼ばれる渋い作風が確立されるずっと前のことです。まだ内容より言葉遊びの感が強いですね。

春なれや名もなき山の薄霞


もう春なのかなあ。大和路をたどると、名の知れた山々はもちろん、名も無い山にさえ薄霞が立って、趣深く思えるよ。

奈良に向かう道の途中で詠んだ句です。この後芭蕉は、東大寺の二月堂の修二会を見ます。

水とりや氷の僧の沓の音


奈良の東大寺ではお水取りの儀式が行われている。深夜の寒々とした堂内を忙しく働く白衣を着た僧の姿。堂内に高らかに響く木沓の音。いかにも厳かな空気をかもし出している。

寒々とした僧の姿を「氷の僧」とたとえました。

また別の機会に奈良を訪れた芭蕉は、4月8日灌仏会の日に、鹿が子を産んでいるのを見ます。
お釈迦さまの誕生日であるこの日に生まれるなんて、お前は幸福なことだねえ。

灌仏の日に生れあふ鹿の子哉

唐招提寺には鑑真和尚の尊像が安置されています。


日本に仏教の戒律を伝えるために、11年間にわたる苦難の長旅の末…ようやくたどりついて、しかしあまりの苦難のために目の光を失ってしまわれた…ああ、鑑真和尚、お痛ましいや!その御目の涙を、この若葉で、ぬぐってさしあげたいと、

若葉して御目の雫ぬぐはばや

京都から大津へ抜ける道の途中で、

山路来て何やらゆかしすみれ草

山路に来て、何となく心惹かれるすみれ草よ。ちなみに京都から大津へ抜けるには通常、逢坂の関のあった大関越を通りましたが、


この句は山科から小関越を通って詠んだ句です。逢坂山トンネルむの北側に走るルートですが、現在、小関越を通る人は少なく、閑散としています。

五月雨にかくれぬものや瀬田の橋


瀬田の唐橋は、古くから近江と東国を結ぶ交通の要衝です。壬申の乱、承久の乱、関ヶ原の合戦など、歴史上大きな合戦において、軍事上の重要なポイントとなりました。

句は五月雨にあたりの気色がぼうっとにじむ中にも、瀬田の唐橋は、その見事な姿をクッキリ浮かび上がらせているようだというものです。

京にても京なつかしやほととぎす

京都でほととぎすの声を聴くのは、いかにも味わい深い。今京都にいるのに、それでも京都が味わい深く、懐かしく思える。元禄三年、40代後半の句です。「京は九万九千くんじゅの桜かな」よりずっと自然で、肩の力が抜けた感じで詠んでますね。


芭蕉はさまざまな地にその足跡を残し、すぐれた名句を残しています。ふつうに通ったら見過ごしてしまうような、何でもない道端に、芭蕉の句碑が立っていたりします。おや、こんなところにという感じで。

何度も訪れた場所も、あらためて芭蕉の句を意識して歩いてみることで、また違ったイメージが広がり味わいが増すかもしれません。

美味しいものを食べて、温泉に入る楽しさに加えて、たとえば露天風呂で、一人。ざぶっとつかりながら、山路来て何やらゆかしすみれ草。つぶやいてみる。それだけで、旅の情緒が増すじゃないですか。旅が、いっそう味わい深いものになるはずです。

次の旅「相国寺を歩く

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