建長寺を歩く~鎌倉観光 歴史と文学の旅

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本日は、「建長寺を歩く」です。

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建長寺は五代執権北条時頼建立による禅寺です。ことに裏山にある鎮守のお社「半僧坊(はんそうぼう)」からの相模湾と富士山の眺めが最高です!

鎌倉駅からも北鎌倉駅からもややアクセスが不便な、微妙な位置にあるのですが、
行く価値はじゅうぶんにあります。

北鎌倉駅から、線路沿いに鎌倉方面へ向けて歩きます。



途中、円覚寺・明月院に参詣しながら巨福呂坂(こふくろざか)にさしかかり、


坂の途中、左手に大きな総門が見えてきます。建長寺の入り口です。



建長寺は鎌倉時代の建長五年(1253年)五代執権北条時頼が、中国南宋の大覚禅師(だいがくぜんじ)(蘭渓道隆。らんけいどうりゅう)を開山として招き、建立した臨済宗の寺院です。鎌倉五山の一つに数えられています。

中国の禅宗寺院の様式に習って、総門・三門・仏殿・法堂(はっとう)・方丈を縦一列に並べた伽藍配置に特徴があります。

総門

総門は、京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん。般舟院。京都市上京区般舟院前町。天台宗。現在は西圓寺という単立寺院)で建立されたものを昭和18年、移築したものです。


額には「巨福山(こふくさん)」(大きな福をもたらす山)の白文字が大きく目立ちます。どうも字のバランスがちぐはぐに見えるのも、愛嬌です。

屋根瓦には北条氏の「三ツ鱗紋」が刻まれ、ここが北条氏の寺であることを実感させてくれます。


総門をくぐって真正面にそびえるのが三門です。黒木の素朴な造りです。


額には「建長興國襌寺」の金文字が堂々と目立ちます。質実剛健、という言葉をそのまま形にしたようです。



三門は三解脱門の略です。三つの煩悩「貪り・怒り・愚かさ」が、この門をくぐることで取り払われ、清められて境内に入っていくのです。

梵鐘

三門右手の梵鐘は、北条時頼の発願により、鋳物士(いものし)・物部重光(もののべのしげみつ)により鋳造(ちゅうぞう)されました。


開山大覚禅師の銘文が刻まれています。建長寺はほとんどの建物が創建当時の姿ではなく再建されたものですが、この梵鐘だけは創建当時のもので、国宝に指定されています。

円覚寺・常楽寺の梵鐘とならび、鎌倉三代名鐘の一つに数えられます。

茅葺屋根の鐘突き堂も、なんとなく愛嬌があります。

仏殿の前には柏槇(ビャクシン)の木がそそり立ちます。開山大覚禅師(蘭渓道隆)が中国から持ち込み、建長寺建立の時手植えしたものです。


樹齢760年。北条氏の栄華も、鎌倉幕府の滅亡も、足利氏の台頭も、この木は見守ってきたのだと思うと胸がアツくなります。

仏殿

正面の建物が仏殿です。建長寺の本尊・巨大な地蔵菩薩像が安置してあります。



建築当時の仏殿は失われ、芝・増上寺の二代将軍秀忠夫人・お江の方の霊廟を移築したものです。

地蔵菩薩像の前で、しばし時を忘れて瞑想にふけりましょう。ひゅろーーーひょろひょろ。時折響く、トンビの声が深山幽谷の雰囲気を高めてくれます。

次に見える建物が法堂です。これもオリジナルではなく、江戸時代に再建されたものです。


本尊の千手観音像と、その前にパキスタン寄贈の釈迦苦行像があります。お腹がベコンとひっこみ、ほんとうに苦行って感じです。


天井の雲龍図(うんりゅうず)は建長寺建立750年を記念して小泉淳作(こいずみじゅんさく)画伯により描かれたものです。どことなく知性を漂わせた、落ち着いた感じの、白い龍です。

唐門・方丈

さらに進むと、唐門(からもん)があります。キンキラキンです。



今までの建物とは異彩をはなっています。これも芝・増上寺の二代将軍秀忠夫人・お江の方の霊廟の門を移築したものです。

唐門の向う側が方丈です。


建物は、総門と同じく京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築したものです。


金曜・土曜に座禅会が開かれているということです。俗世間の喧騒からはなれ、この清浄な空気の中で座禅するのは、心が洗われそうです。

建物からは池を中心とした庭園が見渡せます。開山蘭渓道隆の作った庭で、建長寺創建当時からあるものです。寺の庭はふつう寺の前にあるのが、ここ建長寺では一番奥に置かれています。なぜなんでしょうか?

さて、ここからは裏山にある建長寺鎮守のお社「半僧坊(はんそうぼう)」(半僧坊大権現)を目指して登っていきます。




登るにつれて、神さびた、浮世離れした感じになってきます。左右に鎌倉特有の断崖が迫るのも楽しいです。


一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と過ぎて、245段の石段を登っていきます。石段沿いに奉納幟が一定間隔に立ち、雰囲気が高まります。


半僧坊大権現(はんそうぼうだいごんげん)は、建長寺の鎮守のお社です。静岡県浜松市の方広寺の鎮守・半僧坊を勧請したもので建長寺裏山の中腹に鎮座します。火除け・厄除けなど、さまざまなご利益があるとされます。



そもそも静岡の方広寺を開いたのが後醍醐天皇の皇子・無文元選(むもんげんせん)という臨済宗の僧ですが、この無文元選に随い食事の世話などをしていた僧がありました。


飯の世話をする僧だから「飯僧」、後に「半僧」に転じたとされます。一人前の僧ではなく半人前、という意味もあるのかもしれません。

そしてこの「半僧」なる者は天狗の姿をしていたということで、半僧坊大権現に向かう石段には、大勢の烏天狗像が立っています。




それぞれポーズも決まっており、大軍団、という感じです。カッコいいです。



相模湾見晴台と富士見台

半僧坊大権現のそばには、相模湾見晴台と富士見台があります。満々たる相模湾が見渡せます。


富士見台からは富士山が見渡せます。


晴れていたので、クッキリ見えました。いい気分です。さてこれで終わりかと思うと、右手にあやしい鳥居があり、ここからさらに少し登った所が頂上の展望台です。


細い石段を登っていきます。もはや、人一人しか通れない幅です。


と思ったら、正面から幼稚園生の大群が下りてきました。人きたよ~よけて~よけて~。指導する先生。

こりゃまいったなあと思っていると、こんにちは~こんにちは~と児童が元気に挨拶するので、あっ、こんにちは。こんにちは。こんにちは。ひたすらこんにちはして、20人くらい、連続でこんにちはしました。

こんなに、こんにちはしたのは、私は生れて初めてかもしれません。着きました。勝上嶽(しょうじょうけん)展望台です。



さきほどの相模湾見晴台よりも、相模湾がさらに広く見渡せます。富士山も見えます。素晴らしい眺めです。

勝上嶽展望台からさらに山道を登ると、鎌倉アルプスとよばれる尾根をめぐる天園ハイキングコースが始まりますが、今回はひとまずこれまで。

次回は、「腰越を歩く」日蓮上人ゆかりの龍口寺などを歩きます。

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