春日大社を歩く
本日は、春日大社を歩きます。
春日大社は、平城京の守り神であり、藤原氏の氏神です。境内には鹿が多く、原生林の緑が鬱蒼として、神々しい雰囲気に満ちています。
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春日大社
参道
前回「東大寺を歩く」のつづきです。
東大寺を後に、春日大社の参道まで戻り、東へ進んでいきます。新緑が目にまぶしいです。
春日大社 参道
鹿がそこかしこに歩いています。
かしこそうな、クリクリした目をしてますね。
やがて参道両側に、全国から奉納された石灯籠が、目立ってきます。
春日大社 石灯籠
抜けると、左に荷茶屋(にないちゃや)と神苑(万葉植物園)。神苑には『万葉集』ゆかりの植物200種あまりがあります。
春日大社 神苑(万葉植物園)
さらに進むと右手に鹿苑(ろくえん)。「奈良の鹿愛護会」が運営する「奈良のシカ」の保護施設です。発情期の雄鹿と出産期の牝鹿を収容し、10月には鹿の角切も行う所です。子鹿を見ることもできます。
参道をさらに進むと、二の鳥居です。
春日大社 ニの鳥居
春日大社 ニの鳥居
鳥居手前にある車舎(くるまやどり)は、天皇の行幸や勅使・貴人の参拝の時に牛車を入れた車庫です。
春日大社 車舎
鳥居をくぐると、左に大きな鹿をあしらった、手水舎があります。ここでお清めをしてから春日大社本殿へ進みます。
しだいに参道に傾斜がついてきました。
参道両脇の石灯籠は、いよいよその数を増します。
春日大社について
春日大社は平城京の守り神であり藤原氏の氏神です。古くは春日社と言われていました。
神護景雲2年(768)茨城県鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、千葉県香取神宮から経津主命(フツヌシノミコト)、大阪府枚岡(ひらおか)神社から天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)の四柱を勧請して、創設されました。
藤原氏はもとは中臣氏といい、鹿島神宮の神職の家柄だったと伝えられます。そのため中臣氏あらため藤原氏となってからも、藤原の一門は鹿島神宮を篤く信仰しました。しかし、大和から鹿島まで参詣するのはあまりに大変なので、奈良時代末期に、鹿島神宮の分霊を迎えて春日大社を築いたわけです。
その時、鹿島神宮の分霊を鹿の背中に乗せて運んだと伝えられます。
そのため、春日大社と鹿は深いつながりがあるわけです。
ちなみに春日社の創建は768年ですが、ここは三笠山を御神体とする神聖な場所であり、平城京遷都(710年)以前から素朴な祭礼が行われていたと考えられます。そういう、古代からの神聖な場所に、あらたに荘厳な神社を築いたのが春日社というわけです。
本殿
本殿南門に来ました。
春日大社 本殿南門
拝殿です。その奥にある本殿は檜皮葺・切妻造に庇のついた「春日造」と呼ばれる殿舎が4棟並びます。拝殿からはよく見えませんが。
春日大社 拝殿
それぞれ武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)を祭ります。
春日大社 拝殿
藤原氏の氏社だけあって、境内には藤棚があります。
ここだけでなく春日大社はあちこちに藤が垂れ下がっています。
藤は藤原氏の藤。春日大社のシンボルです。
若宮神社
本殿を後に、山道を歩いていくと、
若宮神社に至ります。
春日大社摂社 若宮神社
若宮神社は春日大社の摂社の一つです。天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子である天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祭ります。
春日大社の本殿は拝殿のむこうに隠れてよく見えませんが、ここ若宮神社の本殿は拝殿からもよく見えます。春日造の構造を、じっくりと観察していきたいところです。
また若宮神社は毎年12月15日~18日に行われる、春日若宮おん祭で有名です。
春日若宮おん祭(おん祭)。
870年以上続く奈良最大の祭です。祭りの中心となる「お渡り式」の時代行列は、特に華やかで賑わいます。
夫婦大國社(めおとだいこくしゃ)
若宮神社のほかにも春日大社には摂社が5社、末社が56社あります。中にも夫婦の大黒天を祀る夫婦大國社(めおとだいこくしゃ)と…、
春日大社摂社 夫婦大國社
金龍神社
金龍神社は、ぜひ参拝しておきたいところです。
金龍神社
元弘元年(1331)後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒を志しますが、未然に発覚。六波羅探題の追求を逃れて、京都南方の笠置山に入ります。笠置山に向かう途中、春日大社に参詣した後醍醐天皇は、一面の鏡を奉納し、天下泰平を祈りました。これが金龍神社の起こりです。
本日は春日大社を歩きました。境内を行き交う鹿。並び立つ石灯籠。鬱蒼とした原生林。神々しい雰囲気に満ちています。興福寺・東大寺とあわせて、丸一日かけてじっくり歩きたいところです。