仁和寺を歩く
本日は仁和寺(にんなじ)を歩きます。
『徒然草』の作者兼好法師は仁和寺に近い双ヶ丘(ならびがおか)のふもとに住んでいたとされ、仁和寺の内部事情に詳しかったようです。『徒然草』には仁和寺に関係した話が多く出てきます。
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京都講演 「足利義昭」 10/26
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ニ王門
わけのぼる 花の嵐の 梢より 御室の山に 月ぞかがやく
御詠歌
JR花園駅から徒歩20分。もしくは京福電鉄北野線・御室仁和寺(おむろにんなじ)駅から徒歩2分。
見えてきました。仁和寺二王門です。
知恩院三門・南禅寺三門とならび、京都三大山門の一つに数えられています。
仁和寺の伽藍の多くは応仁の乱の戦火で燃えてしまい、江戸時代初期に再建されました。この二王門もそうです。
仁王門をくぐると、広大な参道に玉砂利が敷き詰めて、のびのびした景色が広がっています。
仁和寺は真言宗御室派の総本山。仁和2年(886)、光孝天皇の勅願により着工。当初、寺号を西山御願寺といいました。仁和4年(888)次の宇多天皇の時に完成し、後に寺号も元号から取って仁和寺とされました。
延喜4年(904)宇多天皇がご出家後、法皇となられて、ここ仁和寺に御室(おむろ)=僧坊を設けられたことから「御室(おむろ)御所」とも呼ばれました。以後、仁和寺は幕末の慶応3年(1867)まで皇室出身の法親王が住職をつとめる門跡寺院として続きました。
応仁の乱の戦火で伽藍の多くは焼けてしまい、仁和寺は衰退しましたが、百数十年を経て、三代将軍徳川家光の時に再興されました。今ある建物のほとんどは家光の時代に再建されたものです。
今も門跡寺院の名残があり、全体的に華やかな、みやびな雰囲気が漂っています。
御殿
参道左手の「御殿」に入ります。ここは有料です。
白書院(しろしょいん)
仁和寺門跡の非公式の対面所です。
明治の大火で焼失した後、再建されました。福永晴帆(ふくなが せいはん) 画伯による、松の障壁画。縁側から見渡す南庭も見事です。
宸殿(しんでん)
仁和寺の中心的な建物です。
やはり明治の大火で焼失後、再建されました。縁側から池を中心とした北庭が見渡され、向こうに五重塔がそびえ、すばらしい景色です。
霊明殿
渡り廊下を渡って、霊明殿に到ります。
歴代の門跡の位牌を安置するお堂です。ご本尊の薬師如来像は日本一小さな国宝仏像です。
黒書院(くろしょいん)
仁和寺門跡の公式の対面所です。
やはり明治の大火で焼失後、再建されました。障壁画は、堂本印象画伯によるものです。苔の庭が見事です。
ふたたび参道に出て、
左に勅使門を見ながら進み、
中門をくぐります。
中門は二王門に比べると簡素な作りです。やはり江戸時代初期に再建されたものです。
中門をくぐると、ぱあっと視界が開ける感じがします。奥に金堂。右に五重塔が見えます。
御室桜(おむろざくら)
参道左に広がるのが御室桜(おむろざくら)です。
遅咲きで背が低いのが特徴です。晩春には行く春を惜しむ人々が訪れ、最後の桜を楽しみます。
仁和寺や足もとよりぞ花の雲 春泥
ねぶたさの春は御室の花よりぞ 蕪村
などと謳われています。
参道右に五重塔。
江戸時代初期・寛永年間に造営されました。
古い五重塔は上の階に行くに従って屋根が狭くなっていきますが(奈良の興福寺や大阪の四天王寺の五重塔など)、仁和寺にある新しいタイプの五重塔は上の階に行っても屋根が狭くならないことに特徴があります。
観音堂
参道左に観音堂。
延長6年(928)頃の創建、江戸時代初期の再建。仁和寺の僧が修行したり、僧侶になるための「伝法灌頂」という儀式を行うお堂です。
平成24年(2012)から6年間にわたって半解体工事を行っていましたが、昨年(2018)の12月に工事が終わりました。
現在、史上はじめての一般公開をしています(あくまでも僧侶が修行する場であり、これまで一般公開されたことはなかった)。
須弥壇には御本尊の千手観音像、その両脇に不動明王・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)像、二十八部衆、手前に雷神・風神像を配します。
須弥壇を取り巻く柱や壁には、六道輪廻のさまを描いた「六道図」や観音さまが三十三の姿であらわれるさまを描いた「三十三応現身像」など、極彩色の障壁画が描かれ、圧巻です。ここ観音堂は現在、仁和寺における最大の見どころだと思います。
金堂は江戸初期に仁和寺が再興された時に、御所の旧紫宸殿を移築したものです。
単層・入母屋造・本瓦葺。内陣には仁和寺創建当時の阿弥陀三尊像が安置されていましたが、それは現在霊宝館のほうに遷され、今あるのは江戸時代に作られた阿弥陀三尊像です。
金堂前面の、蔀戸の格子が、白と黒のコントラストがきいて、とてもきれいです。
すらりと突き出した向拝(屋根の突き出した部分)も、しなやかでよいです。
どの角度から見ても美しく、りりしく、ほれぼれします。
経蔵
金堂の右に経蔵。経典をおさめたお堂です。
中には八角輪蔵(はっかくりんぞう)と呼ばれる回転式の書架があり、一切経が収められています。通常非公開ですが、時々金堂とあわせて内部を公開しています。
金堂左に鐘楼。
鐘楼の隣に水掛不動尊。諸願成就、幼児の病平癒に霊験あらたかとされます。
台座の岩は菅公腰掛石といい、菅原道真が宇多法皇を待っていて座ったといいます。
御影堂(みえどう)
弘法大師空海と、仁和寺開山寛平法皇、第二世性真親王の像を安置します。
現在の建物は寛永年間(1624-44)、内裏清涼殿の一部を賜り再建されたものです。蔀戸の金具などに清涼殿のものが使われています。
仁和寺は多くの古典作品に登場します。もっとも有名なのが『徒然草』でしょう。
仁和寺の僧が、石清水八幡宮に参拝したのに、山のふもとの摂社だけ見て帰ってきた話は有名ですね。
仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。
告知
聴いて・わかる。『徒然草』」DVD版・DL版
https://sirdaizine.com/CD/TsurezureInfo3.html
『徒然草』全243段を、すべて原文と、現代語訳で朗読し、必要に応じて補足説明を加えた音声とテキストです。全14.6時間にわたりますが、それぞれの話は数分から十数分程度で、気軽に聴けます。
また原文に加えて現代語訳と解説がありますので、より内容がわかりやすくなっています。
京都で学ぶ歴史人物講座~足利義昭 10/26
https://sirdaizine.com/CD/KyotoSemi_Info2.html
将軍の座を追われながらも中国毛利領に亡命し、広島鞆の浦で独自に活動をつづけた、最後の将軍足利義昭。その数機な生涯について語ります。