こんにちは。左大臣光永です。
小正月の15日。どんど焼きですが、お住まいの地域では
いかがでしょうか?私は引き続き月末まで故郷熊本の
空気を楽しんでおります。
さて、大河ドラマの「軍師官兵衛」もはじまったことですが、
御覧になられましたでしょうか。私は見逃したのですが、
前二作よりも評判がよいようですね。さて、
歴史上の、あの人物と、あの人物が、
こうして出会った!というのは、
歴史ファンならワクワクするところだと思います。
どんな会話をしたんだろう。
初対面の状況はどんなだったのか。
妄想がふくらみます。
源義経と武蔵坊弁慶とか、
豊臣秀吉と石田三成とか、
講談や芝居など後世の創作が、
あたかも史実のように思われていることも多いです。
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実際の出会いというのは、そうドラマチックなものでも
ないのかもしれません。しかし、それでも
「あの人物と、あの人物が!」
人をワクワクさせ妄想をかきたてて止まない
組み合わせというものが、あります。
というわけで、今回は和泉式部の七回目
「和泉式部と清少納言」です。
和泉式部と清少納言。
二人は宮中で知り合ったのかもしれないし、
もっと年取って隠居してから友達になったのもしれません。
清少納言は一条天皇の皇后定子にお仕えしていましたが、
1001年に皇后定子が崩御してからは引き続き、
定子と一条天皇との間に生まれた
脩子(ながこ)内親王(この時13歳)にお仕えしていたと思われます。
一方、和泉式部は1009年に中宮彰子の
サロンに出仕しています。
ともに一条天皇の里内裏の一角に寝起きしていたわけで、
すれちがう機会は何度もあったことでしょう。
しかし二人がどんな状況で出会ったは
残念ながら、わかりません。
二人の交流を今に伝えるのは歌のやり取りのみです。
いかにも仲のいい感じが、つたわってきます。
駒すらにすさめぬ程に老いぬれば
何のあやめも知られやはする
清少納言(和泉式部集 正集495)
今やそのへんの馬でさえ言い寄ってこないくらい、
私は年老いてしまいました。五月五日というのに、菖蒲もなにも
わけがわからないほど、モウロクしてしまいました。
清少納言が、老いさらばえたわが身を嘆いている歌です。
「すさむ」は言い寄る、省みる。好む。
それが無いので、世の男性にもはや若い頃のように
言い寄られることはまったく無くなった。
せっかくの五月五日なのに、菖蒲どころじゃない。わけがわからない。
「あやめ」は植物の菖蒲と、ものの道理。理性的であることを指す
「条理」という言葉を掛けています。
つまり、清少納言は、ああ若い頃はあんなにも私、
はなやいでいたのに、年をとっちゃったわ。キィーーーと
嘆いているわけです。
和泉式部はこう返しました。
すさめぬに妬さも妬しあやめ草
ひきかへしても駒返りなん
和泉式部(和泉式部集 正集496)
誰も相手にしてくれないのは、返す返すも悔しいですよね。
年ごとに新しいあやめ草の根を引くように、私たちも若返りたい
ものですよ。
「こまかえる」は馬の「駒」に若返るの意味を掛けます。
清少納言の老いの嘆きに共感して、そうですよね。
そうですよね。年取るって、若いころのように
言い寄られない。悔しいですわよねと、はげしく
首をタテにふってるわけです。
おそらく清少納言は和泉式部より10歳くらい年上だったと
思われます。お互いに宮仕えしている時に
宮中で出会ったのかもしれないし、もっと年取って隠居してから
出会ったのかもしません。
いろいろと、歴史の行間を読んで、
想像をふくらませるのも楽しいことです。
またある年の五月五日、清少納言の局に
和泉式部から菖蒲の根に添えて歌が送られてきます
これぞこの人の引きけるあやめ草
むべこそ閨のつまとなりけれ 和泉式部
(和泉式部集 正集529)
(これこそは人が引き抜いたあやめ草です。
なんと立派なあやめ草でしょう。閨の軒端に葺くのも道理というものです。
ねやの妻といえば、あなたはどなたかの恋人になられたという話ですね)
ちょっとわかりにくいですが、「閨のつま」は
「寝室の軒端」のことで、五月五日には邪気をはらうために
屋根にあやめ草をふきました。
「寝室の軒端」を意味する「閨の軒端」という言葉から、
愛人を意味する「閨の妻」という言葉を、掛詞によって
連想し、あなた、最近だれかの恋人になったそうじゃないですかと、
和泉式部から⇒清少納言へ、話をふっているわけです。
そこに、清少納言はどう答えたか?
閨ごとのつまに引かるる程よりは
ほそくみじかきあやめ草かな 清少納言
(和泉式部集 正集530)
(あなたこそ方々から引く手あまたでしょう。
そんな貴女から贈られたものにしては、細く短いあやめ草ですね)
五月五日にかざるあやめ草は、
長く、太いものが好まれました。
天下の和泉式部が私にくれたものにしては
たいしたことないじゃない。このあやめ草は
いまいちですよと、ニヤリと皮肉めかして言っているわけです。
そして和泉式部の返し。
さはしもぞ君は見るらんあやめ草
ね見けん人にひきくらべつつ 和泉式部
(和泉式部集 正集531)
(そりゃあ、あなたから見たら私など問題でもないでしょう。
あなたはあちこちで、モテモテでしょうから)
「あやめ草」が植物の「根」という言葉を導き、
「根」は男女が共寝する意味の「寝」につながります。
つまり、あなた、あっちこっちで男をひっぱりこんでいるでしょう。
そんな手練手管に長けた貴女から比べれば、そりゃあ、
私なんて、とてもとてもという歌です。
さはしもぞ君は見るらんあやめ草
ね見けん人にひきくらべつつ
ちょっと技巧がひねりすぎて頭が痛くなる感じもしますが、
ようは、
「あなた、やるわねえ」
「いえいえ、そういうあなただって」
ということです。
仲のいい者同士の戯れです。
和泉式部と清少納言の、
いかにもざっくばらんな付き合いが伺える、
歌のやり取りでした。