和泉式部(八)式部と小式部

こんちには。左大臣光永です。
1月後半の日曜日。いかがお過ごしでしょうか。
お正月気分もすっかり抜け、ふだんの日常が戻っている感じでしょうか。

私は1月31日に多摩で『古事記』の講演をやるので、
その準備をしているところです。
https://www.tccweb.jp/tccweb2_032.htm

さて、古典の面白いところに、大昔の古いものなのに、
人の心の動きにおいては、現在と、
なんら変わらず、スッと入ってくる、ということがあります。

たとえば親と子の愛情。別れの切なさ。
愛する人を失う喪失感。

こういう人の心の動きは、何千年経ってもかわらない、
人間に共通のことですから、千年前の物語でも、
現在とかわらない切実さで胸を打たれることが、
あるじゃないですか。

だからこそ、長い時を経て、
読み続けられているのでしょう。

本日は和泉式部の第8回「式部と小式部」です。

▼音声が再生されます▼

http://roudokus.com/mp3/Shikibu08.mp3

大堰川の別れ

寛仁4年(1020)ごろ。

紅葉満開の秋の嵐山には、
母と娘の別れの光景がありました。

「しっかりと中宮さまにお仕えするのですよ。
お母様がいなくても、大丈夫?」

「母上、安心してください。
小式部はもう、子供ではないんですから」

和泉式部とその娘・小式部内侍です。

この年の除目で夫・藤原保昌は丹後守に任じられ、
すでに任地・丹後に下っていました。

秋になって、和泉式部も夫の後を追って
丹後国へ下ることになりました。

一方、娘の小式部内侍は、ひきつづき宮中に留まります。

和泉式部が再婚した藤原保昌は
和泉式部より20歳も年上で、武勇のほまれ高く、
また風流の心得もある人物でした。

藤原道長に仕えていたので、道長の紹介で、
和泉式部と藤原保昌は結婚することになったのでした。

そして再婚して数年目のこの年。

藤原保昌は丹後守に任じられ、丹後に下るので、
その後を追って、和泉式部も丹後へ下ることになったのでした。

再婚したとはいっても、和泉式部は20歳も
年上の、枯れた感じの夫に、飽き足りないものを感じていました。

また、もともとモテモテの和泉式部であり、
宮中でたくさんの恋人を作りました。

愛しの和泉式部が地方へ下るときき、
多くの恋人たちが嵐山まで見送りにきます。

「式部、早く帰ってきておくれ」
「ぼくたちの愛の誓いは、あれは嘘じゃなかったんだよね〜」

などと、和泉式部のもとには多くの
恋文が届けられました。

「お母様、もう結構なお年なんですから、
少しはひかえてください!」

「まあまあ、こればっかりは、好きなんだから、
仕方ないじゃないの」

などと母と娘の間の会話もなされつつ、
紅葉が見事に照り映える秋の大堰川に船を浮かべ、
和泉式部は船に乗り込みます。

「じゃあ、行ってくるね」
「お母様、お元気で…」

思わず涙ぐむ和泉式部。

10歳くらいで母と一緒に宮仕えをはじめた
小式部も、この年24歳くらいになっていました。

女房としての仕事もすっかり板につき、
立ち居振る舞いも洗練され、
見事な歌を詠むことでも評判でした。

また母と似てモテモテで、多数の
男性から言い寄られていました。

そうはいっても母は心配でした。
さる信頼できる女房に娘の教育を頼んできました。

別れゆく心を思へわが身をも
人の上をも知る人ぞ知る

(かわいい娘を置いて田舎へ下る、私の気持ちを察してください。
私のことも、娘のことも、ほんとうにわかってくださるのは
貴女だけなんですから)

岸を離れ、ゆっくりと漕ぎ出す船。

桟橋で立ちすくむ小式部の姿が、しだいに
小さくなっていくのが見えます。

「元気でいてね」
「母上も…」

この後船は大堰川をさかのぼり、
亀岡あたりで和泉式部は陸に上がります、
それからまた車に乗り換えて
福知山を過ぎて普甲峠(ふこうとうげ)峠を越えて、
夫の任地・丹後に向かうのでした。

いく野の道の遠ければ

さて宮中に残された小式部内侍ですが、
母と似て歌人としての誉れ高いものがありました。

「小式部はいい歌を詠むなあ」
「さすが和泉式部の娘だ」

一方、

「いやいや、あれは母が代作してるんだろう」
「いくらなんでも、あの若さで、ああは詠めないよ」

そんな陰口も多くささやかれていました。

ある時、宮中で歌合せが開かれることになります。

その時、参議・藤原定頼が小式部内侍の局まで訪ねてきます。
定頼は当代一の文化人として知られる大納言藤原公任の息子です。
しかしお父さんが偉大すぎるためでしょうか。
息子の定頼には少し軽薄なところがあったようです。

定頼は小式部に言いました。

「歌はどうなりましたか。もう丹後へ人は遣わしましたか。
使いはまだ来ないんでしょうかねえ。さぞ心細いでしょうヒヒヒ」と。

どうせ母親に代作を頼むのだろう、そのために丹後国に使いを
出したのでしょうというわけです。
親しみをこめた冗談なのですが、やな感じですね。

高らかに笑いながら立ち去ろうとする藤原定頼。

その後ろから、小式部内侍はす…と袖を引きとめて、
詠みました。

大江山いく野の道の遠ければ
まだふみも見ず天の橋立

大江山や生野を越えて丹後国へ行く道のりははるかに遠いですから、
音に聞く天の橋立もまだこの足で踏んでみたことはありませんし、
母からの文もまだ届いていません。

つまり…使いなんて出してません。
私は自力でやれますよという意味の歌です。
それを天の橋立と大江山、丹後国の地名を詠みこんで、
流麗な表現で、見事に歌にしてみせました。

「ぐっ…これは親の七光りとばかりは言っておれぬ…」

やりこめられた藤原定頼は、返歌もままならず、
ほうほうの体で逃げ去りました。
歌を詠まれたら返歌をするのがマナーですから、
返歌できないというのは、恥です。負けです。

「勝った!」

ほくそ笑む小式部の、得意げな表情も伝わってきそうですね。

一方、丹後へくだった和泉式部でしたが、
20歳以上も年上の夫、藤原保昌との関係は、かなり
ぎくしゃくしたものだったようです。

つづき「歌で鹿の命を救う

発売中です。

百人一首 全首・全歌人 徹底解説
https://sirdaizine.com/CD/Ogura100info.html

百人一首を飛鳥時代から鎌倉時代に至る600年あまりの
時の流れの中の壮大な歴史絵巻ととらえ、
歌と歌。歌人と歌人。時代背景。さまざまな角度から、解説しました。
単に歌を「おぼえる」というレベルをはるかに越えて、
立体的な知識が身につきます。お子さんが
百人一首を勉強しているという方、昔おぼえていたけど、
おぼえなおしたいという方。名所・旧跡をたずねての
歴史探訪の旅がお好きな方にもおすすめです。

https://sirdaizine.com/CD/Ogura100info.html