和泉式部(十)沢のほたる

こんにちは。左大臣光永です。ほぼ1か月ぶりに
東京に戻ってきました。

それで、25日すぎて年賀状を見ることになったんですが、
メルマガの読者さまからも何枚か年賀状をいただいていました!
お返事が後れてしまい、たいへん失礼いたしました。
この場で、お礼いたします!

さて本日は和泉式部の最終回「沢のほたる」です。


http://roudokus.com/mp3/Shikibu10.mp3


新京極 誠心院入り口


誠心院 境内

孫ができる

夫が丹後守に任じられたのにともなって
丹後に下った和泉式部ですが、
翌年の寛弘8年(1011年)には夫を丹後に残したまま
単身、京都に戻ってきます。

「やっぱり田舎はイヤ。都の華やかな空気が、
私には一番あってるわ」

そんなところでしょうか。和泉式部は娘の小式部内侍とともに、
つづいて中宮彰子のもとに仕えつづけますが…

情勢は刻々と変化していきました。


誠心院 境内


伝和泉式部の墓

この年寛弘8年(1011年)6月には
一条天皇が崩御し三条天皇が即位。
11月 冷泉上皇が崩御。
翌1012年 中宮彰子は皇太后となります。

そんな中にも娘小式部内侍は
藤原道長の五男で、後に関白となる教通(のりみち)に嫁ぎ、
1018年、男子が生まれました。

ついに和泉式部にも孫ができたのです!
そんな歳に、なったのです!

「はっはっは。浮かれ女として名を馳せた
和泉式部も、今やオバアちゃんですか♪」

などと藤原道長がからかうのを、あら
そう言う大殿だって、すっかりヨボヨボのおじいちゃんですわと
受け流す呼吸も、すっかり板についたものでした。

小式部を失う

この子が8歳となる頃は、小式部と教通との関係はすでに終わり
藤原公成(きんなり)との関係がはじまっていました。

1026年小式部は公成との子を身ごもりますが、
お産の苦しみはとても激しいものでした。

産後まもなく小式部は意識を失い、
そのまま帰らぬ人となってしまいます。

まだ20代後半という若さでした。

「どうして、どうしてあなたが…」

つくづく理不尽を感じる和泉式部でした。ついに
小式部がその顔を見ることのなかった、
生まれたばかりの赤子が、
母の死も知らず泣いていました。

娘小式部内侍を失った和泉式部は、
絶唱ともいえる歌を残しています。

とどめおきて誰をあはれと思ふらん
子はまさるらん子はまさりけり

(子供たちと私を遺して、あの子は今誰のことを思っているだろう。
きっと子供たちのことに違いない。
私だって親よりも子供のことを思っているのだから)

などて君空しき空に消えにけむ
淡雪だにもふればふる世に

(どうして貴女は、あんなに空しく亡くなってしまったのでしょう。
淡雪さえも、降ればしばらく留まっているものなのに)

貴船明神

万寿3年(1026年)、彰子は出家して上東門院となります。
翌万寿4年には、一時代を築いた前太政大臣藤原道長が
帰らぬ人となります。

式部の関わった人々は、
一人一人、式部のまわりからいなくなっていきます。

式部の夫藤原保昌は大和守に任じられますが、
この頃詳しい事情はわかりませんが夫婦仲が
悪化し、式部と保昌は別れてしまったようです。

いよいよ一人ぼっちになった和泉式部は、
ある晩、洛北の貴船明神へ参詣します。

ざっ、ざっ、ざ…

京都から貴船明神までの長い山道を、
ひたすら歩いていく和泉式部。

この浮世で、今まで自分がかかわってきた多くの人々。

最初の夫橘道貞。恋人敦道親王。
なにかと冗談を言い合った
大殿・藤原道長。主君中宮彰子。
そしてわが子・小式部内侍。

自分がかかわってきた人々との、浅からぬ縁を思いながら、
和泉式部は貴船明神の参道を一歩一歩登っていきます。

境内の御手洗川のほとりに立った時、
すーーっとほたるが飛んでいくのが見えました。

「まあ蛍…」

もの思へば沢のほたるもわが身より
あくがれ出づるたまかとぞ見る

(思い悩んでいると、沢の蛍も私の身から
離れ出た魂かと思われる)

晩年

晩年の和泉式部について詳しいことはわかっていませんが、
尼になって誠心院(じょうしんいん)と名乗ったと伝えられます。

その寺は小御堂といって御堂関白といわれた藤原道長の領土だったのを
和泉式部に賜りました。

百人一首に採られた和泉式部の歌を、
もう一度読み返してみましょう。

あらざらむこの世のほかの思ひ出に
いまひとたびの逢ふこともがな

(私はじきに死んでしまうでしょう。あの世に持っていく思い出に、
最後にもう一度だけ貴方に会いたい)

おそらく晩年の式部が、波乱の生涯をさまざまに思い出し
ながら詠んだ感じがします。

最後にもう一度会いたいと言われている相手は、
誰なのか。夫橘道貞か。恋人敦道親王か。娘小式部内侍か。

この歌には藤原道長によって「浮かれ女」と評されたような
浮ついた感じはなく、思いつめた、一途な気持が
感じられます。

和泉式部の墓は京都新京極通内の、
誠心院(せいしんいん)の境内にあります。


伝和泉式部の墓

アーケード街の中にいきなり
寺があらわれて思いっきり違和感がありますが、
ビルに囲まれた四角い空間に墓と観音像が立ち並ぶ中、
ひっそりと立っているのが和泉式部の墓です。

ぜひ尋ねて、波乱の生涯を生きた女流歌人の魂にふれてみてください。

ちなみに境内に、なぜか役小角(えんのおづぬ)の像があります。
和泉式部と役行者、何かつながりがあるんでしょうか…。


役小角像

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