『徒然草』~吉田兼好の女嫌い

こんにちは。左大臣光永です。

上野広小路のツタヤに髪の毛が緑のツインテールの女の子がいたんで、これはどっかで見たことあるなと思ったら、初音ミクのコスプレじゃないですか。わふわふのコートを着てるからわかんなかったです。冬だから大変とは思いますが、コスプレなんだから根性を見せてオリジナルには忠実であってほしいです。あの露出の高い服装は冬には厳しいとは思いますが、オリジナルには忠実であってほしいと思いました。

さて。

本日は、『徒然草』より吉田兼好の女嫌いについてです。

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『徒然草』は吉田兼好による全243段からなる随筆です。内容は、人生論あり、友情論あり、思わず笑ってしまう失敗談あり、辛口の人間批評や政治批評あり、ことわざのようなキラリと光る警句あり、歴史上の人物の逸話あり…バラエティ豊かです。

『徒然草』というと、何か人生の達人の書だとか、秀逸なエッセイだとか、言われますが、けっこう…そんなことない。思いっきり偏った思想を持っています。

作者・吉田兼好、嫌いなものが三つありました。

酒と、女と、結婚です。

この三つ…酒と、女と、結婚については、『徒然草』の中で繰り返し、ケチョンケチョンにけなしています。

ところが…それが単なる悪口じゃないんですね。実に味わい深い語り口です。

女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は、ありがたきものぞとて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎(ごと)に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて、ころこみられけるに、何がしの大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川(ほりかわの)内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定めあはれけり。

【現代語訳】
女が喋りかけた時に、とっさにいい具合に返事をする男は、滅多にないものだということで、亀山院が御在位の御時、軽薄な女房たちが、若い男達が参上するたびに「今年はもうほととぎすの声をお聞きになりましたか」と質問して、お試しになったところ、某の大納言とかいう人は、「取るに足らない私の身ですから、聞くことができません」とお答えになった。堀河内大臣殿は、「岩倉で聞きましたでしょうか」とおっしゃったのを、「これは無難な答えだわ。取るに足らない私の身なんて、わずらわしくて嫌味な言い方ね」などと互いに品定めをなさった。

すべて男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿(じょうどじのさきのかんぱくどの)は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの)左大臣殿は、「あやしの下女(しもおんな)の見奉るも、いとはづかしく、心づかひせらるる」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かぶり)も、いかにもあれ、ひきつくろふべき人も侍らじ。

【現代語訳】
すべて男を、女に笑われないように育て上げるべきだという。「浄土寺前関白殿は、幼い頃、後堀河天皇の皇后・安喜門院がよく教えさしあげなさったので、言葉づかいなどが立派なのだぞ」と、人がおっしゃったとかいう。

山階左大臣殿は、「身分の低い下女に見られるのでも、いたそう気恥ずかしく、心遣いをさせられる」とおっしゃっていた。女のいない世の中であれば、衣の着方も、冠のかぶり方も、どうであろうと、取り繕う人もいないだろう。

かく人にはぢらるる女、如何ばかりいみじきもねのぞと思ふに、女の性(しょう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相深く、貪欲(とんよく)甚だしく、ものの理(ことわり)を知らず、ただ、迷ひの方に心も早く移り、詞(ことば)も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず、用意あるかと見れば、又あさましき事まで、問はず語りに言ひ出(いだ)す。深くたばかり飾れる事は、男の知恵にもまさりたるかと思へば、その事、あとよりあらはるるを知らず。すなほならずして拙きものは女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女のはづかしからん。もし賢女(けんぢょ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。ただ迷ひを主(あるじ)として、かれに随ふ時、やさしくも、おもしろくも覚ゆべき事なり。

【現代語訳】
このように人に気を遣わせる女というものは、いったいどれほど立派なものだろうと思うと、女の本性はねじけたものだ。

我が強く、強欲であること甚だしく、ものの道理を知らず、ただ、迷いの方向にすぐに心移りし、言葉巧みに、差支えないことでも質問すれば答えず、かといってたしなみがあるかと見れば、又あきれ果てたようなことまで、聞かれもしないのに喋りまくり、深く考えをめぐらし表面を飾ることは、男の知恵にもまさるかと思えば、その事が後からバレてしまう事を知らない。

素直でなく、しかも拙いものは女である。女の心のままにふるまい、女からよく思われようとする事は、だから残念なことであろう。こういうわけだから、どうして女に気を遣う必要があるものか。

もし賢い女というものが存在するなら、それも何となく親しめないし、興冷めに違いない。

ただ心の迷いに身を任せて女とつきあってみると、優しくも、魅力的にも、思えてくるはずである。

………

こんだけ女性をケチョンケチョンにけなしながら、最後の所では迷いつつも付き合ってみると、いいこともあるんだよなぁと、それでも心惹かれてしまうことを言っています。人間臭いですね。

まあ、これだけ女性批判してるのも、本人、ヒドい目にあったんでしょうね。

こういうことも言ってます。

世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。匂ひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ずときめきするものなり。

久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通(つう)を失ひけんは、誠に手足・はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

【現代語訳】
世の人の心をまどわすこととしては、色欲以上のものはない。人の心はおろかであるなあ。匂いなどというものは、かりそめのものなのに、一時的に衣裳に薫物をたきしいているだけと知りながら、何ともいえない匂いには、必ず心ときめいてしまうものだ。

久米の仙人が、洗濯していた女の脛が白いのを見て、神通力を失ったのは、まったく手足・肌などの清らかで、肥えて色艶がいいのは、薫物でつけた人工的な匂いなどと違って肉体本来の持つ魅力だから、なるほど久米仙人が神通力を失ったのも、もっともと思われる。

………
………

そうとう色欲というものに悩まされたらしいですね。久米の仙人というのは、空飛ぶんですよ。神通力で。ぷーーと飛んでた。で、ふと地上を見るとキレイな娘さんが川んとこで洗濯してる。あっ、いいな。キレイな足だなあ。すーーっとそのまま、墜落して、神通力を失ったという話です。しかし後には、久米仙人はその女と結婚したともいいます。

奈良の橿原神宮の近くにある久米寺は、久米仙人の伝説にちなんだ寺です。

いただいたお便りより

左大臣さま

左大臣さまのメルマガの声から日々元気を頂いて過ごしております。
さて、今回の北原白秋の音声ファイルですが、解説を聞き、一つの作品が生みだされる過程に心が沁みました。
白秋の人生、人柄に近づいた感じです。

北原白秋/山田耕筰の歌には、情景の温かさや空間の広がり、においまでも感じるような気がします。
この度朗読で聞くと、歌は夢の中、朗読は、より現実という、一つの詩から違う味わいを感じました。
このような優れた作品を手軽にしかも無料で提供して頂きありがとうございます。

心豊かな時を過ごさせて頂きました。

解説文がついているので聞き過ごしてしまったことや難しい言葉を後から確認することができました。
他の作品も聞かせて頂こうと思います。

ありがとうございました。

ありがとうございます。解説には特に力を入れています。当方では「語り」を単に格調高く、見事に詠みあげるということではなくて、内容理解のためのツールと考えているからです。なので時には本編の何倍も解説したりしてます。より深く内容を理解するための手助けになれば幸いです。

発売中です。

『徒然草』全243段すべてを解説した音声CD-ROMはこちらで発売中です。無料のサンプル音声もございますので、ぜひ聴きにいらしてください。
https://sirdaizine.com/CD/TsurezureInfo.html

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。