徒然草より「この一矢に定むべし」
こんにちは。左大臣光永です。
まだまだ暑い日々が続きますがいかがお過ごしでしょうか?
私はここの所、新商品を作成していたので、
忙しくしていました。明日、ようやく発売できます。
「聴いて・わかる。日本の歴史~院政と武士の時代」は、
明日発売です。お楽しみに。
さて私は商品を作ったりメルマガを書いたりしつつ、
その合間に、いくつかのサイトを同時進行で製作しているのですが、
現在制作中の一つが『徒然草』のサイトです。
全243段のうち100段目まで解釈が完成しました。
▼音声が再生されます▼
語句を調べて、現代語訳訳を作って、
参考文献を読み込んで…という作業は、いわば「ものすごく深い読書」
といった感じで、非常に勉強になります。頭に入ります。
読めば読むほど『徒然草』は面白いです。
ピリリときいたエッセイとしても読め、
花鳥風月を愛でる風流な場面もあり、
クスリと笑ってしまうほのぼのした場面もあり、バラエティ豊かです。
この一矢(ひとや)に定むべし
本日は、『徒然草』第九十二段、
「この一矢(ひとや)に定むべし」ほか一篇をお届けします。
或人、弓射る事を習ふに、もろ矢をたばさみて的に向ふ。師の言はく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑(なおざり)の心あり。毎度ただ得失なく、この一矢(ひとや)に定むべしと思へ」と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にてひとつをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕(ゆうべ)には朝(あした)あらん事を思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、かさねてねんごろに修(しゅ)せんことを期(ご)す。況(いわん)や一刹那のうちにおいて、懈怠(けだい)の心ある事を知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、直(ただ)ちにする事の甚だ難き。
ある人が弓を射る事を習うのに、二本の矢を持って的に向かった。師の言うことに、「初心者は、二つの矢を持ってはならない。後の矢を頼んで、はじめの矢にいい加減な心が生じる。毎度ただ当たりはずれなく、この一本の矢にて事を決すべきだ」と言う。わづかに二本の矢を、師の前で一つをおろそかにすると思うだろうか。(しかし)なおざりの心は、自分自身は知らないといっても、師はこれを知るのだ。この戒めは、あらゆるのことにあてはまる。
道を学ぶ人は、夕方には朝があるだろうと思い、朝には夕方があるだろうと思って、その時になってから身を入れてやればいいと心づもりをする。まして一瞬のあいだに、怠け心がある事を、どうして知れるだろう。いったい、ただ現在の一瞬において、やるべきことを直ちにする事の大変難しいことよ。
含蓄の深いことを言いますね兼好は!
今すぐやる事の難しさは、受験生ならずとも、身に染みて感じていることと思います。
ほんとうは今日のうちにこの仕事、すませとかないといけないんだけど…
まいっか。明日から本気になろう。酒を飲んでしまう。
私もそうやって、新商品の開発や、メルマガを書くことが、
よく遅れます。弱いです。だから、こういう徒然草の言葉を
プリントして、ピシッと机の前に貼っておく。
今日はいい感じの夜だし、酒飲んで、明日からやるかな
などと思う時に、「一矢に定むべし」という徒然草の言葉が
目に飛び込んで心につきささって、
「いかんいかん。今、がんばらねば」という気持ちにもなるわけです。
「或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを」
もう一つ。
第八十八段「或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを」です。
或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言(しじょうのだいなごん)撰ばれたる物を、道風書かん事、時代やたがひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にありがたき物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵(ひそう)しけり。
ある者が、小野道風の書いた和漢朗詠集として持っていたのを、ある人が、「先祖伝来の言い伝えが根拠のないことというわけでは無いでしょうが、四条大納言藤原公任卿が編纂された和漢朗詠集を、それより前の時代の小野道風が書いたということは、時代が違ってございましょう。あやしいことです」と言った所、「だからこそです。世にもめずらしい物なのでございます」といって、ますます大切にしまっておいた。
平安時代中期の人物で、藤原佐理・藤原行成とともに三蹟と称された能書家です。康保3年(966年)没。この年藤原公任が生まれています。
だから藤原公任の編纂した『和漢朗詠集』を小野道風が書いているのは、ありえない話なんですが、当人は「ありえないからこそ貴重なのだ」と、ますます大切にしたという話です。
頼朝のしゃれこうべの小話みたいですね。
藤原公任は、百人一首に「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こへけれ」が採られています。嵯峨天皇の離宮にあった滝。その滝は枯れて石組みだけが残っている。しかしその評判は、現在まで流れて、伝わっている。嵯峨天皇の離宮跡が、京都嵯峨野の大覚寺です。広大な大沢の池で知られます。
大覚寺境内には、藤原公任の歌に詠まれた「なこその滝」の、石組の跡が今も残っています。
『徒然草』より、第九十二段、「この一矢(ひとや)に定むべし」、第八十八段「或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを」をお読みいたしました。
明日は、新商品「聴いて・わかる。日本の歴史~院政と武士の時代」の
ご案内をお届けします。お楽しみに。
本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。











