『徒然草』より 形から入れ!
こんにちは。左大臣光永です。1月もアッという間に過ぎ去ろうという
勢いですが、いかがお過ごしでしょうか?
私は正月から一ヶ月ほど、実家の熊本に滞在していました。
熊本の史跡をあらためて訪ね歩きました。特に
宮本武蔵が『五輪書』を書いた霊巌堂と、
https://sirdaizine.com/travel/Reigando.html
加藤清正を祀る本妙寺は、発見が多かったです。
https://sirdaizine.com/travel/Honmyouji.html
リンク先で旅行記をしゃべっていますので、ぜひ聴いてみてください。
さて本日は、『徒然草』より、「筆をとれば物書かれ」です。形から入っていいんだよ、むしろ形から入りなさい、という話です。
▼音声が再生されます▼
筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音(ね)をたてんと思ふ。盃(さかづき)をとれば酒を思ひ、賽(さい)をとれば攤(だ)打たん事を思ふ。心は必ず事に触れて来たる。かりにも不善の戯れをなすべからず。
あからさまに聖教(しょうぎょう)の一句を見れば、何となく前後の文(もん)も見ゆ。卒爾(そつじ)にして多年の非を改むる事もあり。かりに今、この文(もん)をひろげざらましかば、この事を知らんや。これ則ち触るる所の益(やく)なり。心更に起らずとも、仏前にありて数珠(ずず)をとり、経をとらば、怠るうちにも、善行(ぜんごう)おのづから修(しゅ)せられ、散乱の心ながらも、縄床(じょうしょう)に座せば、覚えずして禅定(ぜんぢょう)成るべし。
事理(じり)もとより二つならず。外相(げそう)もし背かざれば、内証(ないしょう)必ず熟す。しひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。
『徒然草』第百五十七段
【現代語訳】
筆をとれば自然と物が書かれ、楽器をとれば音を鳴らそうと思うものだ。盃をとれば酒が飲みたくなり、賽をとれば博打がしたくなる。心は必ず物事に触れて起こる。かりそめにも良くない戯れ事をしてはならない。
かりそめにでも仏典・経典の一句を見れば、何となく前後の経文も見える。一瞬にして長年の悪いことを改めることもある。かりに今、この経典を広げなかったら、この事を知るだろうか。これこそが仏典・経典に触れることのおかげである。
仏を求める心はいっこうに起こらなくても、仏前にあって数珠をとり、経文をとれば、怠けているうちにも、良い行いを自然に行うことになり、乱れた心ながらも、座禅を組む椅子に座れば、自覚のないままに禅定の境地に至る。
表にあらわれる現象とその元となっている真理は、もともと二つではない。外部にあらわれた姿がもし道に背くものでなければ、心の内に真理を悟ることは必ず熟する。あながちに不平を言うものではない。仰ぎてこれを尊ぶのべきだ。
……
心は立派でなくても、そんな人格者でなくてもいい。本棚に、論語と、聖書と、法華経が飾ってある。一ページも読んだことは無い。それで、いいんですね。なにか、身近にそういうピシッとしたものがあるだけで、身が引き締められる、環境の大切さです。
「家の子が本を読まないんです」「子供に本を読ませるにはどうすればいいでしょうか」なんていう親ほど、本を読んでません。しかし別に、読まなくたって、いいんですね。
ばーーんと本棚を置いて、難しい本をずらりっと並べておく。ただそれだけで、知的な空気が生まれ、本を読む空気というのができるわけです。形から入ることの、大切さです。
85段も、近い趣旨の話ですが、特に「人に」学べという点が強調されています。
人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから正直の人、などかなからん。おのれすなほならねど、人の賢(けん)を見てうらやむは尋常(よのつね)なり。至りて愚かなる人は、たまたまた賢なる人を見て、是を憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽りかざりて名を立てんとす」とそしる。おのれが心に違(たが)へるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ、この人は下愚(かぐ)の性(しょう)移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、かりにも賢を学ぶべからず。狂人の真似とて大路(おーち)を走らば、則ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥(き)を学ぶは驥のたぐひ、舜を学ぶは舜の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを賢といふべし。
『徒然草』第八十五段
【現代語訳】
人の心はまっすぐではないので、偽りが無いわけではない。そうはいっても、まれには正直の人がいないわけではまない。自分はまっすぐではないのに、人が賢いのを見てうらやむのは世の常である。
極めて愚かな人は、たまたま賢い人に会うと、これを憎む。「大きな利益を得るために、小さな利益を受けない。偽りかざって名を立てようとしているのだ」と文句を言う。自分の心と違っていることによって、この嘲りを為すのだが、ここから知れるというものだ。
この人は愚かの極みであり、その性質がよくなることはなく、嘘にでも小さな利益を辞退することもできず、かりそめにも賢い人から学ぶことのできない者である。
狂人の真似といって大路を走るなら、狂人である。悪人の真似といって人を殺せば悪人である。千里を駆ける駿馬に学ぶのは千里を駆ける駿馬の同類なのだ。(古代の伝説的な徳の高い王)舜に学ぶのは、舜の同士なのだ。嘘にでも賢いことを学ぶものを賢いというのである。
形だけでも、徳の高い人物の真似事をしていると、いつのまにか、自分も調えられてくるという話です。
お知らせ
さて、今週末の金曜日、1/29日。東京多摩永山公民館で、私左大臣光永の語る「声に出して読む徒然草」を開催します。『徒然草』の原文を声に出して読み、楽しく解説します。人生のヒントが、キラリと光る、いい言葉が、見つかるかもしれません。東京近郊の方はぜひご来場ください。
また、当方・左大臣プロジェクトでは、百人一首をはじめ、さまざまな古典・歴史関係の解説音声・朗読音声を発売中です。無料のサンプル音声もございますので、ぜひ聴きにいらしてください。
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