『徒然草』より「或人、清水へまゐりけるに」他
こんにちは。左大臣光永です。子供の日を、いかがお過ごしでしょうか?
昨日は上野の博多満月という店で飲んできました。ビルの6階から、上野広小路を眺め下ろしながら飲むのが気分よかったです。
さて先日発売いたしました。
「聴いて・わかる。『徒然草』」for Windows
https://sirdaizine.com/CD/TsurezureInfo.html
すでに多くのお買い上げをいただき、ありがとうございます。
GW中の特別価格での販売になります。お早目にどうぞ。
というわけで、
本日は『徒然草』から、「或人、清水へまゐりけるに」他をお届けします。
▼音声が再生されます▼
http://roudokus.com/mp3/Tsurezure047.mp3
清水寺観光の際には、ぜひ思い出してほしい話です。
或人、清水へまゐりけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前(あまごぜ)、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、答(いら)へもせず、なほ言ひやまざりけるを、度々(たびたび)問はれて、うち腹たちて、「やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡山(ひえのやま)に児(ちご)にておはしますが、ただ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。有り難き志なりけんかし。
四十七段
ある人が清水寺に参詣した所、年老いた尼と道で一緒になったが、道すがら「くさめくさめ」と言いながら歩いているので「尼御前、何事をそのようにおっしゃっているのですか」と質問したが、やはり言いやまないのを、何度も質問されて、尼は腹を立てて「ええくそ、くしゃみをした時、このように呪文を唱えないと死ぬというので、乳母としてお育てしたわが養い君が比叡山に稚児としていらっしゃるのだが、たった今もしかしたら、くしゃみをなさっているかもと思えば、このように申しているのですよ」と言った。めったにない志であることよ。
………
……
清水寺参詣の途中で、年老いた尼と同行することになった。その尼がくさめ、くさめと言っている。それは何ですかと聞くと、私が乳母としてお育て申した若君が、今比叡山に入ってるのだが、くしゃみをした時こう言わないと死ぬというので、もしたかしら今くしゃみをしているかと思って、くさめくさめ言ってるのだ、という話です。
年老いた尼の、素朴なやさしさに、目頭が熱くなる話です。
「清水の舞台」で知られる清水寺は京都一の観光スポットです。興福寺に属し、真言宗と法相宗とを兼ねた寺院です。
奈良時代末期の宝亀9年(778年)奈良の延鎮上人が「木津川をさかのぼり、清らかな泉を求めよ」という夢のお告げを受け、ここ音羽山に至ると清らかな滝を発見。滝の上に庵を結びました。
その後、延鎮上人が修行中、同じく音羽の滝で修行していた行叡居士から観音菩薩の力のこもった霊木を授けられ、延鎮上人はこれをもって十一面観音菩薩像を刻み祀りました。
宝亀11年(780年)坂上田村麻呂は鹿狩りの途中、山中で延鎮上人と出会います。そこで殺生の罪をとがめらると、確かに、これは私が悪かったですと罪を悔いた田村麻呂は延鎮上人に帰依。御本尊の十一面観音菩薩像を安置するため、音羽山山中に仏殿を寄進しました。
弘仁元年(810年)には鎮護国家の道場となり、北観音寺と名付けられ、後に清水寺となりました。その後、花山法皇が再興した西国三十三所霊場の第16番札所と数えられるようになります。
………
…
『徒然草』の舞台は、清水寺や仁和寺など、京都の狹い範囲にほぼ限定されているので、簡単に舞台を訪ねていくことができます。「ここがあの話の舞台となった場所かァ…」と感慨にふけりながら歩くのも、楽しいものです。
特に、仁和寺は『徒然草』の主要な舞台の一つです。
御室に、いみじき児(ちご)のありけるを、いかでさそひ出(いだ)して遊ばんとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子(わりご)やうのもの、ねんごろに営み出でて、箱風情の物にしたため入れて、双(ならび)の岡の便よき所に埋みおきて、紅葉散らしかけなど、思ひよらぬさまして、御所へ参りて、児(ちご)をそそのかし出でにけり。うれしと思ひて、ここかしこ遊びめぐりて、ありつる苔のむしろに並(な)みゐて、「いたうこそこうじにたれ」、「あはれ紅葉をたかん人もがな」、「験(げん)あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、数珠(ずず)おしすり、印ことごとしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされどもなかりけり。埋みけるを人の見おきて、御所へまゐりたる間(ま)に盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて、聞きにくくいさかひ、腹立ちて帰りにけり。
あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。
五十四段
仁和寺に、すばらしい児(ちご)があったのを、どうにかして誘い出して遊ぼうとたくらむ法師たちがあって、芸の達者な遊行僧たちなどを仲間に引き入れて、優美な破子のようなものを、心をこめて作り上げて、箱のような物に調え収めて、双の岡の都合のいい所に埋めておいて、紅葉を散りかけたりして、人に気づかれないようにしておいて、仁和寺の法親王の御所に参って、稚児をさそって外出した。
うれしく思って、ここあそこと遊びめぐって、前もって仕掛けをした、苔がむしろのように広がっている所に並び座って、
「ああすごく疲れた」
「風流に紅葉をたく人がほしいなあ」
「霊験ある僧達よ、祈り試されよ」
など言い合って、宝を埋めていた木のもとで向かい合って、数珠をすり、印を大げさに結び出しなどして、大仰にふるまって、木の葉をかきのけたけれど、まったく物も見えない。
場所が違ったのかと、掘らない所はもう無いというくらい、山を探索したが、無かった。
埋めているのを人が見ておいて、御所へ参上した間に盗んだのだった。法師たちは言葉もなくて、聞き苦しく言い合い、腹を立てて帰ってしまった。
あまりに面白くしようとすると、必ず面白くない結果になるものだ。
………
……
仁和寺に可愛い稚児がいたんですね。法師たちは、なんとか親密な関係になりたい。そこで、一計を案じて、仁和寺の南にある双の岡に、プレゼントを埋めておいた。
で、稚児といっしょに岡で遊んで、ここぞという時に呪文なんか唱えて、バーーンと取りだそうとしたわけです。でも、無い。どこを掘っても、無い。アレ?どうしたんだろ。山じゅう掘り返してもなかったんです。実は、埋めるのを見ていた人が、盗んじゃったんですね。
兼好のコメントがイカします。
「あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり」
普通にしろ、ということです。そんな穴掘ってプレゼントばーーンとか、わざとらしいことすんなと。プレゼント渡すなら、普通に、当たり前に、誠意をこめてわたせばよい。当たり前にしろ、という話です。
双ヶ丘は仁和寺の南にある三つの丘の総称です。北から一の丘、二の丘、三の丘といいます。遊歩道が整備されており、頂上から京都の町並が見渡せます。晩年、吉田兼好が庵を結んだ場所といわれ、ふもとにある浄土宗長泉寺には門前に「兼好法師旧跡」の碑。境内に吉田兼好の墓があります。
ここで仁和寺のマヌケな法師たちが、プレゼント埋めたんだなぁ~などと思いながら散策すると、感慨もひとしおですよ!
つづいてもう一段、京都の歴史スポットについての話です。
さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖(ぎちょう)を、真言院より神泉苑(しんぜんえん)へ出(いだ)して、焼きあぐるなり。
百八十段
「さぎちょうは、正月に打った毬杖(木製の毬を付くための杖)を、真言院から神泉苑へ出して、焼き上げる行事である。」
真言院は平安京の大内裏にあった真言宗の修法を行う場所です。その真言院で、正月に木製の毬を打つ儀式が行われました。その毬を打つ杖のことをさぎちょうと言いました。それを、正月が過ぎた後、内裏の南にある神泉苑に出して焼いた、という知識メモです。
神泉苑は平安京造営時に桓武天皇によって大内裏のすぐ南に築かれた禁制の苑です。代々の天皇や貴族が舟遊びなどを楽しみました。かつては広大なものでしたが、徳川家康の二条城造営により大きく削られました。現在はごく小さい庭園と池が、二条城の南に残っています。
空海が雨をふらせた話、醍醐天皇が鷺に位を授けた話などが有名です。
新発売です。
というわけで、新発売です。
聴いて・わかる。『徒然草』for Windows
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『徒然草』の全文を、現代語訳つきで朗読し、楽しく解説しました。一文一文を丁寧に読み解き、歴史的背景も含めてわかりやすく解説していきます。古文に抵抗がある方も、現代語訳があるから大丈夫です。無料のサンプル音声もございます。ぜひ聴きにいらしてください。
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