『徒然草』より兼好と旧主・堀川具守

こんにちは。左大臣光永です。5月も中盤にさしかかりますが、いかがお過ごしでしょうか?

私は最近、講演は練習が全てだなあとつくづく感じています。たくさん練習すればするほど、本番でうまくいきます。はい。たしかにそうなんですが、たとえば3分のスピーチを100回練習することは余裕ですが、120分の講演を100回練習するのは、時間的にムリです。長い講演の下準備を、いかに、こなすか。最近の課題です。

さて先日発売いたしました。
「聴いて・わかる。『徒然草』」for Windows
https://sirdaizine.com/CD/TsurezureInfo.html

すでに多くのお買い上げをいただき、ありがとうございます。
本日(5/12)までの特別価格での販売になります。お早目にどうぞ。

というわけで、

本日は「兼好と旧主・堀川具守」です。

▼音声が再生されます▼

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兼好と旧主・堀川具守

『徒然草』の作者・兼好法師は俗名を卜部兼好(うらべかねよし)といい、鎌倉時代末期から南北朝時代初期を生きました。卜部家は京都の吉田神社の神官を代々務める家柄です。

ただし神官といっても、俗世で貴族の家に仕えたりしながら、その傍ら、神社の仕事をやっていました。今でも神社の神主さんがふだんサラリーマンをやってたりしますよね。ああいう感じです。

兼好は20代終わりから30代のはじめに出家しましたが、それ以前は堀川家の緒大夫(しょだいふ。職員)として仕えていたようです。堀川家は村上源氏の流れを汲む大貴族です。

兼好が仕えていた(と思われる)堀川家の当主を堀川具守(とももり)といいました。『徒然草』の中に、さりげなく登場する人物です。

女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は、ありがたきものぞとて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎(ごと)に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて、ここみられけるに、何がしの大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川(ほりかわの)内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定めあはれけり。

『徒然草』百七段

女房たちが、ほととぎすの声をどう聴きましたかと、宮中に出入りする男たちに尋ねて、どれほどイキな答えをするかテストしたのです。当時、ほととぎすの声を聴く事は最高の風流とされました。一晩中起きていても早朝にほととぎすの声を聴きたいほどのものでした。

そこである大臣は「私ごときの物の数でもない身では、ほととぎすの声は聴けませんでした」と答えます。次に堀川の内大臣(堀河具守)が「岩倉で聴きましたようです」と答えました。

さて女房たちの判定は。「岩倉で聴きましたようですとは無難な答えね。数ならぬ身、なんていうのは嫌味だわ」というものでした。女房たちは堀川の内大臣(堀川具守)に大らかで奇をてらわない答えを誉めているのです。そして女房たちの評価を通して、作者兼好法師も、旧主・堀川具守の素直な人柄をほめたたえているのでしょう。

岩倉は現在の叡山電鉄鞍馬線岩倉駅あたり。ここに堀川具守の別荘がありました。兼好の時代はほととぎすの名所として知られていました。北に鞍馬山。東に比叡山がそびえ、現在でも郊外の落ち着いた雰囲気があります。

兼好と延政門院一条

次に『兼好法師集』にある兼好法師と延政門院一条との歌のやり取りを見てみます。

堀川の大臣(おほいまうちぎみ)具守を岩倉の山荘におさめ奉りにしまたの春、そのわたりの蕨を取りて、雨降る日、申しつかはし侍りし

早蕨のもゆる山辺を来て見れば消えし煙の跡ぞ悲しき

返し、延政門院一条

見るままに涙の雨ぞ降りまさる消えし煙の跡の早蕨

堀川の大臣を岩倉の山荘に埋葬した次の年の春、そのあたりの蕨を取って、雨の降る日、贈った歌。

大臣を葬った跡地に来てみると蕨が萌え立つばかりで、亡き人の面影は何もない。それが悲しいというのです。

歌を贈られた、延政門院一条(えんせいもんいんのいちじょう)が返します。

私も見ていると自然に涙がこぼれるばかりですわと。

堀川具守が亡くなったのは正和5年(1316年)正月。その翌年のことです。兼好の推定年齢35歳の時です。

延政門院一条の経歴は不明ですが、兼好と親しい女房と思われます。おそらく歌会なんかで兼好と一条はたびたび手合わせしていたことでしょう。

そして一条がお仕えした延政門院は後嵯峨天皇の第二皇女で、27歳で「延政門院」の院号を授かりますが、ほどなくして出家しました。

一条の主君・延政門院についても『徒然草』にエピソードがあります。かわいらしい話です。

延政門院いときなくおはしましける時、院へ参る人に御言づてとて申させ給ひける御歌、

ふたつもじ牛の角もじすぐなもじゆがみもじとぞ君はおぼゆる

こひしくおもひまゐらせ給ふとなり。

『徒然草』第六十二段

延政門院が幼くていらっしゃった時、父後嵯峨上皇の御所に参る人に言づてとして申上げなさったという歌、

ふたつ文字(こ)、牛の角のような文字(ひ)、まっすぐな文字(し)、ゆがみ文字(く)…父君のことが思われます。

恋しく思われて申上げなさったということである。

「こひしく」思います、その「こひしく」という文字を謎にして、歌として父上皇に贈ったわけです。一条はこういう優しい人物を主君として持っていました。だからこそ、兼好が主君堀川具守の亡きあとを訪ねた時の悲しさを、一条は実感として強く共感できたのかもしれません。

新発売

というわけで、本日(5/12)までの特別価格での販売となります。

聴いて・わかる。『徒然草』for Windows
https://sirdaizine.com/CD/TsurezureInfo.html

『徒然草』の全文を、現代語訳つきで朗読し、楽しく解説しました。一文一文を丁寧に読み解き、歴史的背景も含めてわかりやすく解説していきます。古文に抵抗がある方も、現代語訳があるから大丈夫です。無料のサンプル音声もございます。ぜひ聴きにいらしてください。
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本日(5/12)までの特別価格での販売となります。お申込みはお早目にどうぞ!

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