『徒然草』より 「望月のまどかなることは」

こんにちは。左大臣光永です。1月半ばの日曜日、楽しくお過ごしでしたか?

私は本日、近くの温泉に入ってきたんですが、寒くなってきたせいか、とても人が多く、繁盛してました。駐車場もなかなか空きスペースが見つからないほどでした。チビっ子も多かったです。

繁盛している店は、いいですね。活気があります。風呂でも、スーパーでも、ラーメン屋でも、繁盛している店に行くと、私は、嬉しくなるんですよ。わあーーっと、商売繁盛のパワーが、注ぎこまれる感じがします。

さて本日は『徒然草』から「望月のまどかなることは」です。

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望月のまどかなることは

望月のまどかなる事は、暫くも住(ぢゅう)せず、やがて欠けぬ。心とどめぬ人は、一夜(ひとよ)の中(うち)に、さまで変るさまも見えぬにやあらん。病の重(おも)るも、住(ぢゅう)する隙(ひま)なくして、死期(しご)既に近し。されども、いまだ病急ならず、死に赴かざる程は、常住や平生(へいぜい)の念に習ひて、生(しょう)の中に多くの事を成(じょう)じて後、閑(しづ)かに道を修せんと思ふほどに、病を受けて死門(しもん)に臨む時、所願一事(いちじ)も成ぜず、言ふかひなくて、年月の懈怠(けだい)を悔いて、この度(たび)、若(も)したちなほりて命を全くせば、夜(よ)を日につぎて、この事かの事、怠らず成(じょう)じてんと、願ひを起すらめど、やがて重りぬれば、我にもあらず、取り乱して果てぬ。このたぐひのみこそあらめ。この事、まづ、人々急ぎ心に置くべし。

所願を成(じょう)じて後、暇(いとま)ありて道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻(にょげん)の生(しょう)の中に、何事をかなさん。すべて所願皆妄想(もうぞう)なり。所願心に来たらば、妄心迷乱(もうしんめいらん)すと知りて、一事をもなすべからず。直(ただ)ちに万事を放下(ほうげ)して道に向ふ時、さはりなく、所作なくて、心身(しんじん)永くしづかなり。

『徒然草』第二百四十一段

【現代語訳】

満月が丸い状態は少しの間もそのままではなく、すぐに欠けてしまう。注意しない人は、一晩のうちにそこまで変わる様子も見えないに違いない。病が重くなるのも、少しの間も同じ状態ではなく、(気が付くと)死がすでに近く迫っている。しかし、いまだ病が緊急ではなく、死に直面していないうちは、世の中が不変で平穏な日常がずっと続くという思いこみに慣れており、生きている間に多くの事を成した後で、心静かに仏道修行にをしようと思っているうちに、病にかかって死に臨む時、願いは一つも成しておらず、言ってももうどうしようもなく、長年にわたる怠慢を悔いて、今度もし病から回復して命をまっとうすることができるなら、夜を日についで、この事あの事、怠りなく成し遂げようと、願いを起こすようだが、すぐに病が重くなれば、正気を失い、取り乱して死んでしまう。この類の人が世の中には多いのだろう。この事を、まず人々は心に留めるべきである。

願いを成し遂げた後で暇があったら仏道修行に向かおうとしていると、願いは尽きるものではない。幻のような人生の中で、いっい何を成すというのか。すべて願いは皆、真理に背いた邪念である。願いが心に起こったら、迷いの心が迷い乱すのだと知って、一つの事をも成してはならない。ただちに一切を投げ捨てて仏の道に向かう時、さしさはりなく、無用な行為もなく、心と体は永く静かになるのだ。

勉強や、仕事に一心不乱に打ち込め。時間は待ってくれないぞ…そういう話では、ないんですね。別に勉強や仕事のことを言ってるわけではなく、「仏道修行に」打ち込めといっているのです。

仏道修行の前では、勉強とか、仕事すら雑念であり、退けるべきことだと言っているのです。もっともこれを「少年老いやすく 学なりがたし」式の説教と見て、「だから一生懸命、勉強しないといけません」という教訓話に取ることも、できるっちゃあできます。

世の中は無常だから、はかない、人の一生はすぐに過ぎ去ってしまうから、今すぐ出家して、仏道修行の道に入るべきだ。俗世間のゴタゴタとかかわるべきではない。『徒然草』の中で繰り返されて来たテーマ。全243段のうちの、かなり終盤。第241段に至って、再度そのテーマを繰り返し、『徒然草』全体のしめくくりの感がある章段です。

二つの矢を持ってはならない

第92段なども、同じテーマを違う表現で語ったものです。

或人、弓射る事を習ふに、もろ矢をたばさみて的に向ふ。師の言はく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑(なおざり)の心あり。毎度ただ得失なく、この一矢(ひとや)に定むべしと思へ」と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にてひとつをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。

道を学する人、夕(ゆうべ)には朝(あした)あらん事を思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、かさねてねんごろに修(しゅ)せんことを期(ご)す。況(いわん)や一刹那のうちにおいて、懈怠(けだい)の心ある事を知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、直(ただ)ちにする事の甚だ難き。

『徒然草』92段

【現代語訳】
ある人が弓を射る事を習うのに、二本の矢を持って的に向かった。師の言うことに、「初心者は、二つの矢を持ってはならない。後の矢を頼んで、はじめの矢にいい加減な心が生じる。毎度ただ当たりはずれなく、この一本の矢にて事を決すべきだ」と言う。わづかに二本の矢を、師の前で一つをおろそかにすると思うだろうか。(しかし)なおざりの心は、自分自身は知らないといっても、師はこれを知るのだ。この戒めは、あらゆるのことにあてはまる。

道を学ぶ人は、夕方には朝があるだろうと思い、朝には夕方があるだろうと思って、その時になってから身を入れてやればいいと心づもりをする。まして一瞬のあいだに、怠け心がある事を、どうして知れるだろう。いったい、ただ現在の一瞬において、やるべきことを直ちにする事の大変難しいことよ。

説教くさい感はありますが、ぴぴっと身を引き締められますね。ついダラダラしてしまう自分を引き締めるために、『徒然草』の一節を暗誦し、折に触れてつぶやきたい所です。

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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。