『徒然草』八になりし時、父に問ひて言はく

こんにちは。左大臣光永です。週の半ば、いかがお過ごしでしょうか?

私は先日、東京都の「ゴミ処理券」を初めて使ってみました。粗大ゴミにコンビニなどで買ったゴミ処理券を貼って、ネットで申し込んで、家の前などに置いておくのです。ほんとうに回収されるかドキドキしたんですが、予約した日の午後にはいつの間にか回収されていました。よくできたシステムですね!

さて本日は、学習講座のお知らせです。今週金曜日(3/25)東京多摩永山公民館で私左大臣光永の「声に出して読む『徒然草』を開催します。今回が最終回です。
https://www.tccweb.jp/tccweb2_025.htm

『徒然草』、というか作者兼好法師について、私が素晴らしいと思うのは、自分のことをほとんど語らないことです。

▼音声が再生されます▼

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『徒然草』は全243段もあります。その内容は、人生訓や、人物評、キラリと光ることわざのような警句、歴史上の人物の逸話、朝廷の故実・しきたり、笑い話・噂話、走り書きのメモのような意味不明のものまで、多岐にわたります。

しかし、これだけ内容がいろいろ広範囲に及びながら、作者兼好法師が自分自身について語るのは、最終段近くなってからです。それまでずーーっと世間や、他人のことを語っているのです。ここが、私が『徒然草』の好きな所です。

俺が、俺が、俺が、ではない。俺のことはどうでもいいんだ。それよりも語るべきは他にあるという、その姿勢。いいですね。見習いたい所です。

そんな兼好が、最終段近くになって、ようやく自分のことを語ります。しかも、自慢話です。

当代、いまだ坊におはしましし比(ころ)、万里小路殿(までのこうじどの)御所(ごしょ)なりしに、堀川大納言殿(ほりかわのだいなごんどの)伺候(しこう)し給ひし御曹司(みぞうし)へ、用ありて参りたりしに、論語の四、五、六の巻をくりひろげ給ひて、「ただ今御所にて、紫の朱(あけ)奪ふことを悪(にく)むといふ文(もん)を御覧ぜられたき事ありて、御本(ごほん)を御覧ずれども、御覧じ出(いだ)されぬなり。なほよく引き見よと仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるるに、「九の巻のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とて、もて参らせ給ひき。

今上帝が、まだ皇太子でいらっしゃった頃、万里小路殿の屋敷を御所とされていた時、堀川大納言がご出仕なさっている控室へ、(私は)用があって参った所、論語の四、五、六の巻をお広げになって、「ただ今、東宮殿下におかせられては、紫の朱(あけ)奪うことを憎むという本文を御覧になりたい事があって、論語を御覧になっておられるのだが、見つけることができなくていらっしゃるのだ。もっとよく探し出せという仰せ事なので、探しているのである」と仰せられたので、「九の巻のどこそこのあたりにございます」と申したところ、「ああ嬉しい」といって、それを持って差し上げなさった。

………

こういう自慢話ばっかりしている人がいたら、ウザいの一言ですが、兼好法師は自慢話はウザがられるのを承知した上で、最終章近くになって、やっと出してきてます。こういう自慢話が七つも続くんですが、『徒然草』全体の構成から見ると、それが嫌味に感じられないのです。

これまで社会のこと、他人のことを延々と語ってきた作者が、ようやく最後に、自分のことを語るのを、自分に許した…そんな感じです。

そして最終段では、父の思い出が語られます。

八(やつ)になりし時、父に問ひて言はく、「仏は如何(いか)なるものにか候ふらん」といふ。父が言はく、「仏には人のなりぬるなり」と。又問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父又、「仏の教へによりてなるなり」と答ふ。又問ふ、「教へ候ひける仏をば、なにが教え候ひける」と。又答ふ、「それも又、さきの仏の教へによりて成り給ふなり」と。又問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」といふ時、父、「空よりやふりけん、土よりやわきけん」といひて、笑ふ。

「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人(しょにん)に語りて興じき。

八歳になった時、父に質問していわく、「仏はどんなものでございなしょうか」と言った。父が言うには「仏には人がなったのだ」と。また質問した。「人はどうやって仏に成りましたのでしょう」と。父はまた、「仏の教えによってなったのだ」と答えた。又質問した。「教えました仏を、なにが教えましたのでしょうか」と。又答えた、「それもまた、その前の仏の教えによって仏におなりになったのだ」と。又質問した。「その教え始めなさった第一の仏は、どんな仏でございましょうか」と言った時、父は、「空から降ってきたのかな。土からわいてきたのかな」といって、笑った。

「問い詰められて、答えられなくなりました」と、父はいろいろな人に語って面白がった。

………

これが、『徒然草』全243段の最終段。終幕です。なんともあっけない感じですね。しかし、そこがいいんです!余韻がただようじゃないですか。

兼好法師の父卜部兼顕について、何もエピソードは伝わっていません。しかし、クドクド膨大な資料が残っているよりも、こう、何気ないエピソードが、思い出が一つ残っている。それが、かえって印象深いということが、あるじゃないですか。

仏はどんなものですか?仏は人がなったのだ。人はどうやって仏になったのですか?仏の教えによって仏になったのだ。ではその教えた最初の仏はどんな仏なのですか?」「むむ…空から降ってきたのか、土から湧いてきたのか」

父と子のたわいない、やり取り。おそらく兼好法師が父を思い出す時に、一番に出てきたエピソードなんでしょう。

特にドラマチックでもなく、感動的な場面でもありませんが、その淡々としたところが、人の思い出というものは、こういうものかなという感じがします。

学習講座のお知らせ

声に出して読む『徒然草』
https://www.tccweb.jp/tccweb2_025.htm

この講座では会場の皆さまと御一緒に声を出して、徒然草の原文を読むとともに、私左大臣光永がわかりやすく内容を解説していきます。原文を声に出して読んだ直後に説明を聞くので、頭に入りやすいです。また大きな声を出すことは美容・健康によく、記憶力低下の防止にもつながるでしょう。

読み進めるうちに、作者・兼好法師の人を食った、ユーモアにあふれた、毒舌で、それでいて温かみのある人物像が浮かび上がってくるはずです。

声に出して読む『徒然草』
https://www.tccweb.jp/tccweb2_025.htm

次回から『論語』の話題をお届けします。お楽しみに。

本日も左大臣光永がお話ししました。