『徒然草』より仁和寺の僧
こんにちは。左大臣光永です。ゴールデンウィークに入りましたが
いかがお過ごしでしょうか?中には11連休という方もあるようですね!
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というわけで、
本日は『徒然草』から、「仁和寺の僧」です。
▼音声が再生されます▼
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教科書にも必ず採りあげられる話です。学校で習った方も多いと思います。
仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。
仁和寺にいる僧が、年を取るまで石清水八幡宮に参詣したことがなかったので、残念に思って、ある時思い立って、ただ一人歩いて参詣した。極楽寺・高良明神などを拝んで、これで終わりと思い込んで帰ってきた。
さて、知り合いに会って、「長年思っていたことを、果たしました。聞きしにまさって、尊くあられましたよ。それにしても、参詣する人が皆、山に登っているのは、何事があるのでしょう。興味はございましたが、神へお参りするこそ目的と思って、山までは見ませんでした」と言ったという。
少しのことにも、その道に通じ導いてくれる人は欲しいものである。
………
……
石清水八幡宮は木津川と木津川・宇治川・淀川が合流し淀川に流れ込む男山の地にあります。大分県の宇佐神宮・福岡県の筥崎宮と並び、三大八幡宮の一つに数えられます。
この地は平安京の裏鬼門(西南)にあたることから、悪霊が入り込むことへの護りが必要でした。そこで貞観元年(895年)、九州の宇佐八幡宮を勧請して、男山山上に石清水八幡宮が建てられました。永承6(1051)年・源頼義が奥州で勃発した安倍氏の叛乱「前九年の役」に出陣する際、戦勝祈願をしたことで有名で、以後、源氏の守り神ともなりました。丹塗りの社殿は、寛永11年(1634年)徳川家光の寄進によるものです。極彩色の彫刻が至る所にほどこされ、桃山文化の輝きを今に伝えます。
つづいて仁和寺の僧の話をもう一段。
是も仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、各(おのおの)あそぶ事ありけるに、酔ひて興に入るあまり、傍(かたわら)なる足鼎(あしがなえ)を取りて、頭(かしら)にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平めて、顔をさし入れて舞ひでたるに、満座興に入る事かぎりなし。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方(おおかた)抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。とかくすれば、頸(くび)のまはりかけて血たり、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうもなくて、三足(みつあし)なる角(つの)の上に、帷子(かたびら)をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる医師(くすし)のがり、率(ゐ)て行きける道すがら、人のあやしみ見る事かぎりなし。
医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様(ことよう)なりけめ。ものを言ふもくぐもり声に響きて聞えず。「かかることは文(ふみ)にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、又仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上(まくらがみ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。
かかるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立てて引き給へ」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、 かねを隔てて、頸もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげながら抜けにけり。 からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。
これも仁和寺の法師、童が剃髪して僧になる名残ということで、皆で遊ぶ事があったところ、酔って興が乗るあまりに、そばにあった足鼎を取って頭にかぶったところ、つまるような感じであったので、鼻を押して平たくして、顔をさし入れて舞い踊りはじめた所、一座の者はみな大いに盛り上がった。
しばらく舞い踊ってから、抜こうとした所、まったく抜けない。酒宴の場はすっかり興ざめして、どうしようと、困った。あれこれしている内に、首のまわりが傷ついて血が出てきた。首じゅう腫れに腫れて、息もつまったので、打ち割ろうとするが、簡単に割れない。響いて我慢できないので、思うようにならず、どうしようもないので、鼎の三本の足が角のように突き出ている上に、帷子をかけて、手を引き杖をつかせて、京都の医者のもとに、連れて行く道すがら、人が怪しんで見ることは並々でなかった。
医者のもとに入って、向かい合ったその様子は、さぞかし異様だったろう。ものを言うもくぐった声に響いて聞こえない。
「このようなことは医学書でも見たことが無い。伝え聞いた治療法も無い」と言ったので、又仁和寺に帰って、親しき者、年老いた母など、枕元に寄って座って泣き悲しむけれど、聞いているだろうとも思えない。
そうこうしている内に、ある者が言うことに、「たとえ耳や鼻が切れて失われても、命ばかりはどうして失われることがあろう。ひたすら力を入れて引っ張りなさい」と言って、藁しべを首のまわりにさし入れて、金属を隔てて、頸もちぎれるばかりに引いた所、耳と鼻は欠けて穴が開きながら、抜けた。危険な一命を取り留めて、僧は長く病にかかっていたと聞く。
………
兼好法師は仁和寺にたびたび出入りしていたました。それで、仁和寺の僧の話を間近のととして聞いていたんですね。実際見聞きした仁和寺の僧の話を、このように物語めかして語ったものです。
仁和寺は仁和2年(886年)光孝天皇の勅願により着工。二年後の仁和4年(888年)宇多天皇により創建された真言宗御室派の総本山です。宇多天皇が出家して境内の御所である御室御所にすまわれたので、御室御所とも称しました。明治二年まで、出家した天皇の子弟(法親王)が住寺を務める門跡寺院でした。
広々した境内には金堂や御影堂・五重塔が立ち、御所さながらの雰囲気があります。境内に咲く「御室桜」は、京都一の遅咲きの桜として有名です。
京都を散策する時、このような古典の場面を思い浮かべながら歩くと、味わいもまた一入だと思います。
新発売です。
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本日も左大臣光永がお話いたしました。
ありがとうございます。ありがとうございました。











