『徒然草』~吉田兼好の酒嫌い
こんにちは。左大臣光永です。桃の節句・ひな祭りの今日。いかがお過ごしだったでしょうか?私はフラリ、近所の仲宿商店街に行ったら、タタララタタララタタララララ~♪ひな祭りの音楽がかかっていて、ああ、ひな祭りだなあと、実感しました。
こういう季節のイベントごとに酒を飲む口実を与えてくれるのは、いいですね。ちょっとこれから一杯、飲みに行こうと思います。
さて本日は『徒然草』より、吉田兼好の酒嫌い、という話です。
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それと、今までメルマガでお話してまいりました『徒然草』の話もたまってきたので、一覧にまとめました。過去配信ぶんも、あわせてお聴きください。
- 徒然なるままに
- 吉田兼好の女嫌い
- 友人論・友情論
- 『枕草子』と『徒然草』
- 或人、清水へまゐりけるに他
- 仁和寺の僧
- 世に語り伝ふる事、多くは虚言なり
- 専門を磨け。専門外に口出しするな
- この一矢に定むべし
- 兼好と旧主・堀川具守
- 負けまいとして打つべし
- 『徒然草』と『論語』
- あらためて益なき事
- 形から入れ!
- ただ、ここもとを正しくすべし
- 吉田兼好の酒嫌い
- 専門を磨け。専門外に口出しするな
- インテリ系ダメ人間の悲劇
- 望月のまどかなることは
- 八になりし時、父に問ひて言はく
『徒然草』の作者・吉田兼好、嫌いなものが三つありました。女、結婚、そして酒です。そのうち本日は、酒嫌いについて。まあとにかく、ボロクソに言ってます。私は酒好きなんですが、兼好の酒嫌い論には、とても納得できます。とにかく酒の席の醜さを、しつように観察して、実にしつこい筆運びで、活き活きと描き出しています。酒飲みの方にも、いや、酒飲みだからこそ、「わかるわかる」と共感できると思います。
世には心得ぬ事の多きなり。ともあるごとには、まづ酒をすすめて、強ひ飲ませたるを興とする事、如何(いか)なるゆゑとも心得ず。飲む人の顔、いと堪へがたげに眉をひそめ、人目をはかりて捨てんとし、逃げんとするを、捕へて、ひきとどめて、すずろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽(たちまち)に狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者(びょうじゃ)となりて、前後も知らず倒れ伏す。祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。あくる日まで頭(かしら)いたく、物食はず、によひふし、生を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、公私(おおやけ・わたくし)の大事を欠きて、煩ひとなる。人をしてかかる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にもそむけり。かく辛き目にあひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかかる習ひあなりと、これらになき人事(ひとごと)にて伝へ聞きたらんは、あやしく不思議におぼえぬべし。
【現代語訳】
世には合点のいかない事が多いものだ。事あるたびにまず酒をすすめて、強いて飲ませるのを面白いとする事は、どんな理由あってのことか、合点がいかない。飲む人の顔は、たいそう堪えがたそうに眉をひそめ、人目をうかがって酒を捨てようとして、逃げようとするのを、捕まえて、引きとどめて、むやみに飲ませてしまうと、きちんとした人も、たちまちに狂人となってバカっぽい振舞をし、健康である人もたいへんな病にかかった病人のようになって、前後もわからず倒れ伏す。
祝い事のある日などは、あきれ果てたことになるに違いない。あくる日まで頭が痛く、物も食わず、うめき横たわり、生を隔てた前世のことのように昨夜のことを覚えていないし、公のことも私のことも大切な用事をすっぽかして、迷惑をかける。人にこのような目を見させる事は、慈悲もなく、礼儀にもそむいている。
このような辛い目にあった人は、恨めしく、残念に思わないだろうか。外国にこのような習慣があるらしいと、日本ではないよそ事として伝え聞いたとしたら、あやしく不思議に思うに違いない。
人のうへにて見るだに心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞(ことば)多く、烏帽子ゆがみ、紐はづし、脛(はぎ)高くかかげて、用意なき気色(けしき)、日来(ひごろ)の人とも覚えず。女は額髪はれらかにかきやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取りつき、よからぬ人は肴取りて口にさしあて、自らも食ひたる、さまあし。声の限り出(いだ)して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出(いだ)されて、黒くきたなき身を肩抜ぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへ、うとましく憎し。あるは又、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひきかせ、あるは酔(え)ひ泣きし、下ざまの人は、罵(の)りあひ、いさかひて、あさましくおそろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、はては許さぬ物どもおし取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、あやまちしつ。物にも乗らぬきはは、大路(おおち)をよろぼひ行きて、築土(ついひじ)・門(かど)の下などに向きて、えもいはぬ事どもしちらし、年老い、袈裟かけたる法師の、小童の肩をおさへて、聞えぬ事ども言ひつつ、よろめきたる、いとかはゆし。
【現代語訳】
人の身の上のこととして見るのさえ、不愉快だ。考え深そうな様子で、奥深いと見ていた人も、分別もなく笑いさわぎ、言葉は多く、烏帽子はゆがみ、衣の紐ははずし、脛を高くかかげて、つつしみの無い様子は、いつものその人とも思えない。女は額髪をかきやって顔をむき出しにして、恥しげもなく顔をあお向けて笑い、盃を持った手に取り付き、つつしみの無い人は肴を取って人の口に押し当て、自らも食う。ひどい有様だ。声の限り大声を出して、おのおの歌い舞い、年老いた法師が召し出されて、 黒く汚い身なのに肩を脱いで、目もあてられない有様で身をよじるのを、面白がって見る人さえ、いとわしく憎たらしい。
あるいは又、自分がどれほど立派かという話を、はたで聞いているのが恥ずかしくなるほど言い聞かせ、あるいは酔って泣き出し、下賤の者は、罵りあい、争って、呆れかえるほどで、恐ろしい。恥さらしで、残念なことばかりであって、はては許可されていない物を勝手に取っていき、縁から落ちたり、馬・車から落ちたり、過失をしてしまう。乗り物に乗らないような低い身分の者は、大路をよろよろ歩いて、築土や門の下などに向いて、言うもはばかられるようなことをやり散らかし、年老いて、袈裟をかけた法師が、小童の肩をおさえて、聞えない事などを言いつつ、よろめいているのは、見ていられない。
………
ところが、ここまで酒をケチョンケチョンにけなしている兼好ですが、後半で酒を持ち上げます。
かくうとましと思ふものなれど、おのづから捨てがたき折もあるべし。月の夜、雪の朝(あした)、花の本(もと)にても、心長閑(のどか)に物語りして盃出(いだ)したる、万の興をそふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外(ほか)に友の入りきて、とりおこなひたるも、心なぐさむ。なれなれしからぬあたりの御簾(みす)の中(うち)より御果物(おんくだもの)・御酒(みき)など、よきやうなる気はひしてさし出(いだ)されたる、いとよし。冬、狭(せば)き所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「御肴(みさかな)がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるもをかし。いたういたむ人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とりわきて、「今ひとつ、上少なし」など、のたまはせたるもうれし。近づきまほしき人の、上戸(じょうご)にてひしひしと馴れぬる、又うれし。
以上、『徒然草』百七十五段
このように酒はいとわしいと思うものではあるが、自然と捨てがたい折もあるだろう。月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して盃を差し出す。何かにつけて興をそえることである。
退屈な日に、思いの外に友が入って来て、一杯やるのも、心なぐさめられる。はばかり多い高貴な方が御簾の中から果物やお酒などを、上品そうな気配でさし出されるのは、とてもよい。
冬、狭い所で火で物を煎たりなどして、心に隔てない仲間とさし向かって、たくさん酒を飲むのは、とても面白い。旅の仮屋、野山などで「何か肴がほしいなあ」など言って、芝の上で飲んでいるのも楽しい。
たいそう酒を嫌がる人が、強いられてちょっと飲むのも、とてもいい。高貴な人が、特別に、「もう一献。お酒が減っていませんよ」など、おっしゃるのも嬉しい。お近づきになりたい人が、上戸で、すっかり打ち解けてしまったのも、また嬉しいものだ。
………
今度は一転して、酒もこういう時にはいいもんだね、という例を挙げています。ニヤリとさせられます。
私も元々、こういう喋りとか、朗読を始めたのは、酒に強く関係してます。自分で読んだ漢詩の朗読。李白や陶淵明の酒の詩なんか聞きながら、一人で、チビリチビリ酒が飲みたいと。そういうニーズを、自分自身のニーズを満たすために、朗読を始めた部分があります。もともと酒と強く関係しているんです。そういう意味でも、この吉田兼好の酒嫌い論を朗読すると…自分がこういう喋り語りをはじめた時のことを思い出して、シミジミします。
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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。











